2016.11.12更新
※飛花(ひか)=風によって飛び散る桜の花びら
ひらり、ひらりと舞う雪が、一片一片、際限なく降り積もる。
雪深い赴任地にて、ネジは、新年早々風邪に伏したヒナタを、真っ直ぐに想う。
彼女が熱を出したのは他でもない――二人きりで初詣に出かけて、他に誰もいないのをいいことに、雪の中、長時間居座りすぎてしまった。
……あの日、ヒナタが抱き締めてくれた痛みが、今もなお胸をえぐる。
思わず、額と頬に口づけてしまった自分を、今さら悔いたところで時間は巻き戻せない。
――何があっても離れないで。
ヒナタは確かにそう云ったのだが、そこに在る感情も想いも、ネジには到底知り得なかった。
――あなたには幸せになってほしい。
こぼれ落ちる言葉が胸を貫くのを、ただ受け止めていることしか出来なかった。
今回の任務を終え、雪にまみれながら、待機場所の温泉宿へと戻ってきた。
この地へ来てから、深夜まで出払う日々が続いた為、売店が営業しているのを、初めて見たような気がする。……真っ先に飛びついたのは、女の子のテンテンだった。
「可愛い! リーも、ネジも、一緒に見てよ! この辺りは大きな飴玉が有名なのかしら?」
「どんぐり飴? 何です? それは……」
「……どんぐりには似ても似つかないな」
小さなみやげ物売り場には、ガラスの容器に入った色とりどりの大きな飴玉が、淡い光を散らしていた。
しょうがににっきにべっ甲。いちごにれもんに手鞠。柔らかな色合いの丸い飴を見ていると、不思議と、懐かしくて穏やかな心緒になった。紫色の、ぶどう味のそれを見て昔のヒナタの後ろ姿を思い出すあたり、ネジは相当に彼女に侵されていることを自覚した。
「えっと、ネジ? 聞いていますか?」
「ちょっとネジ、任務が終わったからって呆けすぎよ」
不意にヒナタへと引きずられていた思考を、仲間の声に引き戻される。おかっぱ頭とお団子頭に向き直ると、首をかしげてその先を促した。
「ガイ先生に買って帰ろうと思うの。何味がいいかな?」
「ボ、ボクは、サクラさんに、桜色のものを……」
仕事中は恰好良く戦う仲間たちの、至極平和な任務外での姿を見、心底の安心を覚えた。
「確かガイ先生はカレーが好きだったな……強いて言えばしょうが味か? それとも黒飴とかか? ……まったく分からんな」
「ネジが言うならそうしようかしら。リーはサクラにあげるのよね? 桜色一色も可愛いけど、手鞠とかビー玉も可愛いんじゃない?」
「ううう、かたじけない! テンテンにアドバイスを貰っているようではボクもまだまだです。でも、ありがとうございます! 喜んで貰えるといいのですが……」
「喜んでくれるわよ。女の子はこういうの好きよ。で、ネジは? 誰かにあげないの?」
ネジが旅先や赴任先でも思い出す相手――そんなの決まっている。
「ヒナタさんにいかがですか? 今ではすっかり仲直りしたそうじゃないですか」
「仲直り……。まあ、一応そうなるかな。そういえばヒナタ様は新年早々風邪を引いたらしい」
「ちょうどいいじゃない! 買ってあげなよ。ヒナタには何がいいかな? それはネジが一番分かってる筈だけど」
「分からんな……ヒナタ様の好きなものなど、凡そ見当もつかない」
「嘘! あんたも駄目ね。それなら、白とピンクにしたら? 女の子らしいヒナタにはきっと喜ばれると思うわよ。みるくといちご、絶対可愛いから!」
「……では財布を預ける。テンテンが買ってきてくれ。悪いが、白とピンクの飴玉を買う勇気はない。ついでにガイ先生の分もそこから出せ」
「さすが! 上忍は違うわねー。じゃあありがたくいただこうかな。今度何かでお返しするね」
仲睦まじく会計場へと向かった二人を、自然とあふれ出す笑顔で見送った。テンテンにみかん味の飴玉を買ってあげたリーが、どこか誇らしげな顔で戻ってきて、ネジの心はさらにほころんだ。
自分用と先生用の二つの袋を手元に残すと、テンテンは財布と桜色の包みをネジに手渡した。
白に淡紅が透けて、桜の花の色を思わせる包み。紅い糸の蝶々結びが、夏の日のヒナタとの記憶を思い起こさせた。
伸びかけの髪を飾る結び目をほどいたこと。華奢な体を縛るものから、解放してやったこと。
――あなたが心配なんだ。心配で心配で仕方ないんだ……!
――だから自分をもっと大切にしてください。
口を衝いた想いは、今も昔も大して変わっていない……それどころか、日ごとに募りゆく行き場のない感情を、持て余してばかりいる。
……ヒナタを手に入れたい。などという驕りにも似た我情を、ネジはもう自分ではどうすることも出来なくなっていた。
*
朝、木ノ葉の里へと帰ってきたネジは、一番に宗家へと向かった。風邪で辛そうなヒナタに、甘い飴玉で少しでも楽になって貰いたいから。
……元を正せば自分の所為なのだ。彼女と離れたくないばかりに、雪の中、相当に無理をさせてしまった。
本当はもっと身を寄せていたかったのだが、あれ以上傍にいるのは危険だった。あのままいたら自分が何をしでかしていたかは想像に難くない。
真っ白な空気に包まれて、いつもの慣れた道を急ぐ。ネジを見上げてやわらかに笑うヒナタを思い浮かべると、おのずと頬がゆるんだ。
早く会いたい――そればかりを考えた。
しかして、これまでにも幾度となく潜った立派な門を抜ける。
その先はやはり雪の白に包まれていて、淡紅に染まる指先との対比が、綺麗だとさえ思った。
「ヒナタは? 風邪の調子は……」
……慣れない呼び名に、声が震える。
ヒナタがそう呼んでほしいと言うのでその通りにしているが、未だに違和感が拭えないのだ。しかし同時に誇らしくもあり、分家の中でも自分だけは特別な存在なのだと、不遜な優越感に、瞬く間に支配されるのだった。
迎えてくれたハナビが、奥に下がる。もうすぐ姿が見られるのだと思うと、期待と緊張感に胸が波打った。ポケットに入れた飴玉の包みを握り締め、深呼吸をしてどうにか心を落ち着けた。
しばらくの静寂のあと、家着のままのしどけない風采のヒナタが、拙い足取りでやって来た。
否応なくあふれ出す感情を抑えきれずに、自分でも可笑しいくらいにふにゃりと笑った――。
一方、ネジを一瞥したヒナタは慌てて目を逸らすと、羽織の裾をぎゅっと掴み、俯き押し黙ってしまった。
不思議に思いながらも、声を掛ける。
「このあいだは悪かった……寒い中無理をさせてしまって」
「いえ……。私こそごめんなさい」
「任務先で、お土産を買ってきたんだ……。『どんぐり飴』という雪深い地域の大きな飴玉なんだが、テンテンが選んでくれたから間違いないと思う。風邪が少しでも楽になればいいのだが」
「ありがとうございます……」
急によそよそしいヒナタに心を乱されながらも、桜色の包みを差し出した。
僅かに指先が触れ、即座に手を離したヒナタが、再び触れないよう注意を払った様子で、恐る恐る受け取った。
……胸が、ぐるぐると痛む。ヒナタから伸ばしてくれた筈の手は? 繋いで指を絡め合った、雪の日の朝の記憶は? あれはただの気まぐれか、魔が差したとでも言うのだろうか。
もう一度目が合ったのを逸らしたヒナタが、どこか青ざめているように見える。もしかして、まだ体調が悪いのを圧して出てきてくれたのだろうか。今度は別の意味で胸が痛んだ。
「大丈夫か? まだ、熱があるのか?」
「うん、大丈夫……」
「あれ? ヒナ、タ?」
ふらりと倒れ込んだヒナタを、やさしく抱き止める。思いの外高い体温に、こちらまで息が苦しくなった。
それでもしっかりと握られた飴玉の包みの紅は、その白くて繊細な手には、不相応に見えた。
辛そうに息をする彼女を横抱きにして、部屋まで運んだ。整然としていて、しかしふんわりとしたその場所は、いつかの夏の日に見たのと、まったく変わっていなかった。
「オレはまた明日から里を出る。長期の任務になりそうだ。……次に帰る頃には、桜が咲いているかもしれない」
「…………」
「帰ったら、また会いに来てもいいかな?」
「…………」
物言わぬヒナタに語り掛ける。枕元に置いた桜色が、長い紺藍の髪を、清らかに彩っていた。
「それまで、どうか無事でいて」
ただ、静かに。そっとその髪に触れる。ヒナタはすでに、眠っていた。
布団を整えて、立ち上がり背を向ける。すると――。
――行かないで……。
……聞き間違いかもしれないが、ヒナタは、確かにそう言ったような気がした。
去る冬の日の、ネジしか知らない真っ白な時間。
*
ひらり、ひらりと舞う花が、一片一片、際限なく降り積もる。
雪の白と見紛うほどの淡紅、花嵐。桜の花は満開を迎え、さいごにヒナタと会ってから、三ヶ月の時が流れた。服や髪に貼り付くひづめ型の飛花は、まったく降り止む気配を見せない。それどころかどんどん勢いを増し、せっかく咲いた薄桜が、瞬く間に散らされてしまいそうだ。
長期任務に出て離れ離れになった晩冬、ヒナタを想わない日など、一日もなかった。
任務先で危険にさらされていないだろうか? また無理をして怪我を負っていないだろうか?
……心配で心配で仕方がなかった。
何より、戀しくて戀しくて、感情の持って行き場がなく、そんな経験は初めてだったので困り果ててしまった。
早くヒナタに会いたい、出来ることならば触れたい――考えるのはそんなことばかりだった。
任務を終えたら真っ先に向かう先、ネジの帰るべき場所。ヒナタがいることを願い、やはり一番に宗家へと足を向けた。……吹く風がひどくやわらかい。すっかり春を迎えた木ノ葉の里は、穏やかな空気に包まれていた。
これまでにも何度も潜った門を抜ける。
その先は桜花の白に色づいていて、ふわりと踊る軽やかな欠片に、幾分心も軽くなった。
「ヒナタは? ヒナタは、ここにいるか?」
夢でも心の中でも、幾度となく呼んだその名を口にする。
「姉様は次の任務に出かける準備をしている。部屋にいる筈だから、行ってきたらどうだ?」
例の如く迎えてくれたハナビに促され、奥へと進む。見慣れた縁側の風景から、無事に帰ってきた事実を、改めて実感した。
しかして、飾り気のない和風建築の廊下を越えたら、馴染み深いチャクラを感じ取った。
この先にヒナタがいる……間違いない。部屋の前まで来ると、努めて冷静に声を掛けた。
「……ヒナタ」
びっくりして転んだのだろうか? 中からどん! という大きな音が聞こえて、それから少ししてふすまが開いた。
視界に飛び込んできたヒナタは――
久しく会っていなかった分、ずいぶん髪が伸び、一層儚げな姿に成長していて、直視するのが憚られるほどだった。
「ネジ兄さん」
ゆるりと見上げてきたヒナタと目が合って、やはりというべきか瞬時に逸らされてしまった。
なぜだろう、心が痛む……視線を交わして、いつものように笑いかけてほしいのに。
「おっ、おかえりなさい! あの……このあいだ 「ヒナタ!」「ワン!」
俯いたまま、何か言おうとした声を遮ったのは、
「キバ君……」
ヒナタの仲間の、騒がしい男とその忍犬だった。
「私もう行かなくちゃ……」
せっかく会えたのに、たいして言葉も交わせぬまま、果ては目も合わせぬままに別れるのを、些か残念に思った。
そして、どういう訳か明らかにネジを見ようとしないヒナタに疑問を抱きつつ、部屋の中へと無意識に視線を遣った。すると――。
(え……?)
目に入ってきたのは、開封もされずに、あげたままの状態で置かれた、見覚えのある桜色の包みだった。……紅い蝶々結びに、ほどかれた形跡が一切見られない。
全身を駆け巡る冷たい衝撃に、すぐさま飲み込まれそうになった。
もしかしてヒナタに避けられているのかもしれない。
自分のしたことは要らぬ世話だったのかもしれない。
あのとき手を繋いだのも、抱き締められたのも、願望によって塗り替えられた、嘘の記憶なのかもしれない――。
花風に煽られて、長い髪を靡かせながら去っていく後ろ姿を見送って、しばらく立ち尽くしたまま動けなかった。