2015.08.31更新
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春の終わりを告げる雨が、紺色の、制服の裾を濡らした。
新学期が始まって、再び日常に身を置いたヒナタは、やはり今でも、毎日の礼拝堂での祈りを欠かさなかった。
ここのところ、新入部員を迎えた声楽部の練習が盛んである。専ら流れてくるのは……穏やかに澄んだ、綺麗なメロディがひどく胸を刺す、グノー編曲、J.S.バッハの“アヴェ・マリア”だった。
――祈祷文
めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。
御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。
……天主の御母聖マリア、罪人なる我らの為に、今も、臨終の時も祈り給え……
アーメン――
その、美しい歌声に乗せられた詩の中の罪人とは、自分のことだとヒナタは思った。
三月のあの日、もう一度想いを告げてくれたネジに、真実を記した手紙を書いた。一方的で、ひとりよがりで、どうしようもなく酷い内容だった。自分を不幸へと追いやった者に幾ら侘びられようとも、ましてや心を寄せられようとも、聡明な彼が喜ぶ筈がない。それなのに、彼の赦しを貰って、また寄り添えはしないかと、醜い欲に塗れた考えが、幾度も頭をよぎってしまう。そんな自分が、許せなかった。それでも。
――やはり私は、あなたの幸せ、ただそれだけを願っています。
――清々しいほどに、誰よりもあなたのことが大切で、何を置いても、あなたを愛しています。
揃いのお守りは、今でも大切に持っている。聖母マリアに、主イエスに、縁結びの神に、節操なく祈りを捧げては、いつまでも変わらぬ願いを乞うているのだ。
しかし、この先の長い道を、彼と共に歩むことは、決して許されないだろう。ならば、せめて元気で幸せでいて欲しいと望んでみても……心のどこかで、彼との未来を強く求めてしまう感情を、どうしても抑えることが出来なかった。
「……何だか、最近の姉様は、お人形さんみたい……いつもぼうっとしていて、どこか虚ろで、表情をなくしてしまって。何か、あったのですか?」
さすがに、日々を共に過ごしている、妹のハナビを誤魔化すことは出来なかったようだ。心配そうに見上げてきて、優しく手を取ってくれた彼女にもまた、ネジを重ねてしまって……不意に、涙が零れた。二人は、どこか似ている。ならば、同じように血が繋がったヒナタも、ネジに似た部分があるのだろうか。
「姉様? 大丈夫ですか? 最近、食事も控えめで……随分痩せたように見えます。何か、辛いことがあったのですね? 私でよければ、話してみてはもらえませんか?」
「ハナビ……ありがとう。私は、大丈夫よ。大切な筈のあなたに、余計な心配を掛けてごめんね」
尚も悲しそうな顔をするハナビは、泣いてばかりのヒナタを心配していた、かつてのネジの顔とそっくりだった。