2015.08.13更新
幸福の青い花は、ついに枯れてしまいました。
あと一月ほどで帰るとおっしゃっていたあなたを、今か今かと、寂しがりやの私と共に、待ってくれていたのに……。
セピア色の秋の空は、いつしか冬の、淡い青へと色を変えていて、二週間ほどの任務を終えて屋敷へ戻ると、力なく萎れた瑠璃雛菊が、悲しそうに俯きながら、ただ静かに、私を迎えてくれました。寂しくて空を見上げれば、雲一つなく晴れ渡る、その鮮やかな筈の青までもが、私には何故だか霞んで見えました。
降り注ぐ冬の日差しは、どこか弱々しくて、昨夜晩くから早朝にかけて帰って来た私は、果たして今が何時なのかも分からずに、ただぼうっとして、またいつもの、あなたがよくいた縁側で、うつらうつらと微睡んでいました。
どれくらいの間、そこにいたかは分かりません。動こうにも、すっかり冷え切った体はひどく気怠くて、目を開けるのも億劫で、また眠りに落ちようかと、意識を手放しそうになった瞬間――。がちゃりと、玄関の鍵が開く音が聞こえました。少々寝ぼけていたので、それが夢なのか現実なのか、はっきりとしないままに、これまでに幾度も触れた、聞き慣れた足音が聞こえてきて、気づけば目の前に、白と黒の、見慣れた忍装束が見えてきて……うっすらと開いた視界に、黒檀の長い髪が、さらさらと揺れていました。
「ネジ兄さん……! 会いたかったです……本当に、心配しました……」
慌てて体を起こして、その足元に縋れば、ネジ兄さんは私の前にしゃがみ込んで、目線を合わせてくれました。それは幼い頃から変わらない、年長者としての、彼の優しい気遣いでした。
「どうしたんですか? あなたらしくもない。もう、一人前の忍なのだから、しっかりしないといけませんよ」
そう言って、ふわりと微笑んでくれた兄さんの、色白の肌を包むモノクロの服と、相変わらず淡い、霞んだ冬の空はやはり、決して鮮やかとは言えない筈なのに、この目にあなたを捉えてからというもの、それらは一瞬にして濃く色づいたかのように、褪せていた私の視界を、華やかに彩ってくれました。思わず涙顔になった私を見ると、一層儚く笑って、ゆっくりと抱き締めてくれたあなたに、私はもう随分侵されて、どうしようもないくらいに愛していて、その溢れるほどの想いは、もはや行き場を失くしてしまっています。
「わ、私ったら……怖くて、寂しくて、もし、あなたが帰って来なければなどと、下らない想像ばかりしてしまって……あなたは、本当に、ネジ兄さんですね? 私の好きな、愛してやまない方で、間違いないですね? これは、夢ではない、ですよね……?」
何度も何度も、確かめるように髪を撫でて、背中をさすって、その存在をしっかりと体で感じたくて、力の限り、抱き締め返しました。
「……まったく、あなたという人は……オレはオレです。夢ではありません。ただ今、長期任務より戻って参りました」
ほんの少し前まで、戦いの渦中にいた兄さんからは、血や土の、ひどく湿った香りがしたけれど、そんなことは、本当にどうでもよくて、とにかく無事で帰って来てくれたことが、ただただ嬉しくて、夢中で体を寄せました。その、私よりもずっと大きな背中は、腕を回せばぎりぎり届くくらいで、その、私の頭を撫でてくれる大きな手は、幼い頃に繋いでいた、小さかった手が嘘のように、この上ない安心感を与えてくれました。
「あなたと見る空はやはり、全然違って見えます……」
「……どういうことですか?」
「ですから、あなたがいなければ、私の見る世界は忽ち、色褪せてしまうということです……私を置いて、手の届かないところへ行くのはもう、やめて下さいね……必ず生きて、傍にいて下さい。一生の、お願いです」
「……それは、断言できないな。もしもあなたが、また危険に晒されてしまったら……オレは、やはりあなたを、命にかえても守りたいと思うだろうから……理屈じゃないんだ。こればっかりは、自ずと溢れてくる感情だから、自分ではどうすることも出来ない……でも、あなたが望むのならば、もっと強くなって、あなただけでなく、できるだけ、自分の命も守りたいと、今は思う……それでは、駄目ですか?」
儚いほどに綺麗な、青い、青い空の下。久しぶりに会った兄さんは、やはり穏やかで、悲しいくらいに優しくて。私は少し、泣いてしまいました。
私を照らす、あなたという光は、息苦しさを覚えるほどに真っ直ぐで……。
いつだって、自分のことよりも、私のことを一番に考えてくれて……。
そんな、高潔なあなたが大好きだけど、でも、とても切ないです。
生きて、強く。どうか明日も、ちゃんと笑っていて下さい。