2017.05.21更新
自分で言い出した手前あとに引けなくなった。
――発端は数日前にさかのぼる。暮れの任務、木ノ葉はもう初雪が舞うのに、常夏の赴任地へと駆り出された。いつだってマイペースな班員、丸く切り揃えたおかっぱ頭の彼は……それでも嬉しそうに、汗を流して鍛錬に励んでいる。ところがもう一方の仏頂面の班員、きれいな長い髪をひとつに束ねた色白の彼は……いかにも不機嫌そうにその様子を眺めていた。何ら変わりのない、いつもの風景である。
……数千の数を読みながら腕立て伏せに勤しむリーが、不意に言葉を投げた。
「ネジ、ボクたちの任期が決まりましたよ! 暑いのはもうこりごりです!」
「……騒々しい。声と距離感のボリュームが合ってない」
対するネジは、ひどく面倒そうに答えた。が、この刺々しい物言いは彼なりの親愛のあかしのようだ。いつも鋭くて笑ってしまうのだが、テンテンはこの噛み合わないやりとりが大好きだった。
「今月、十二の月の二十六日までです。あと一週間の我慢ですよ。せっかくなので、君も天然のサウナの下でトレーニングでもしませんか?」
「いや、オレはいい。暑いのは嫌いだ」
「あんたたちってなんだかんだで仲いいわよね」
そう、この班の男ふたりは、正反対の性質を持ちながらも存外仲がよく、女の子のテンテンには入る隙がないこともあった。そして、その関係性を些か羨ましく見ていた彼女は、彼らにある提案をした。
「終わったら温泉にでも行ってゆっくり帰りましょ! 最近、小難しい任務ばっかりで、疲れちゃった」
「おお、いいですね! ボクもテンテンに賛成です!」
「……オレは帰るぞ」
「何よ! いつも付き合い悪いわね! ネジも一緒に来ればいいじゃない! あんただってどうせ暇なんでしょ」
「まあ、暇なんだが……お前らふたりで行ってこい。気が進まん」
思えばこれが間違いだった。そこからは畳みかけるように――
「ふっ、ふたりで温泉っていうのもなんか……ねえ? リーだって嫌じゃない?」
「ボクは大丈夫です! 一緒に行きましょうよ!」
「うん……そう?」
「楽しみですね! 約束です!」
「……うん……」
ふたりきりでの温泉旅行が決定してしまった。
*
さて、十二の月の二十六日、解散した途端にネジは帰ってしまった。この男は昔からそうだ。必要以上の馴れ合いを好まず、長らくの付き合いがある仲間とも一定の距離を保つ……ただひとり、従妹であり主人でもある、ひとつ年下の彼女を除いては。
「ねえねえリー、ネジの奴さ、ヒナタの誕生日に合わせて帰ったのかなぁ? なんか特別って感じよね。主従関係があるとはいえ、ちょっと羨ましいな」
「ヒナタさんはもうすぐ誕生日なんですか?」
「明日なの。ここからだとどんなに急いでも火の国まで一日はかかるから、ギリギリってところかしら」
「来年のテンテンの誕生日はみんなでお祝いしましょう! ボクたちにとってのテンテンも特別ですよ」
「みんなで……かぁ。でもありがとう、楽しみにしてる」
「ええ、任せてください! テンテンにはいつもお世話になっているので、いつになく張り切りますよ!」
「へへ、嬉しい……」
曰く、ナイスガイなるポーズと屈託のない笑顔に、今までどれほど救われてきたことだろう。テンテンは元来、明るい性格だったのだが、かつて木ノ葉の下忍最強とうたわれた仲間、現上忍の天才ルーキーネジ。および、致命的なハンデを物ともせず、尋常でない努力で補填し、誰よりも誇り高く闘ってきたリーに囲まれて、劣等感に支配されたこともあった。けれどその負の感情をきれいに流してくれたのも、間違いなくこのふたりだった。特にリーは、武骨なネジの辛辣な言葉選びを、いつも庇ってくれていた。
そう、忍術が使えないとか落ちこぼれだとか――服装が変だとか髪型が変だとか、そんなことは、テンテンにとっては一切関係なく、彼の良さを一番に理解しているのは間違いなく私なのだと、誇りにさえ思っていた。
目的の温泉地へは、夕刻頃に辿り着いた。
師走とはいえ、あたたかな空気を残す街。そこは、狭小ながらもちゃんと観光地といった風情で、白い湯気と木造の宿、朱色の桟橋、涼やかに流れる小さな川で形成されている。雪こそ降らないものの、空にはうっすらと雲がかかり、煙る視界が、いっそう深みのある趣を添えていた。賑やかな木ノ葉にはない上品な景色である。わくわくともたげる好奇心に、胸が踊った。
幼い子さながらに目を輝かせて、隣のリーへと語りかける。
「わあ! きれいなところね……ねえ、リー見てよ。紙風船……って、あんた、なんでここでも逆立ちしてるの? もう着いたんだから普通に歩きなさいよ! 恥ずかしいでしょ」
「はっ……! それはすみません! しっ、しかしテンテンは友達だから、分かってくれるものだと思っていました」
「友達、ね……」
「友達じゃないのですか? ショックです! じゃあテンテンにとってのボクは何なんです?」
「……うるさいわね……いいから、あの紙風船の宿に行ってみましょ。私、あそこがいいな」
「ええ、任せてください! 今から入れるか聞いてきますね」
テンテンを置いて、リーは信じられないスピードで行ってしまった。急いで後を追う。こういったケースはもう慣れっこなのだ。
しかして、早々に帳場で手続きする彼を見て、安心してそばに寄る。
老舗の落ち着きを湛える小ぢんまりとした宿。格子戸の軒下にふんわりと浮かぶ紙風船がかわいくて、一目見て気に入った。世間ではもう年末年始の休暇に入っていて、人気の宿は埋まっていてもおかしくないため、すんなりと通されるのが奇跡に思えた。
……だが一瞬喜んだのも束の間、
「テンテン……ここがいいのですよね? どうしてもここが」
どこか気まずそうにしたリーが言うので、先を促せば、
「部屋がひとつしかなくてですね、しかも偶然キャンセルが出たから空いたらしく……他の宿をあたってもいいのですが、可能性は低いかもしれません……。それで、つい慌てて、押さえてしまいました。よかったですか?」
「えっ……?」
普段の彼からは考えられない表情で、考えられないことを口にした。
*
いつも饒舌なリーが大人しくなってしまった。打開しようと手立てを探るも、どうにも言葉が出てこない。ふたりきりの部屋で、うるさいほどの静寂が流れた。……ふと視線を遣れば、焦茶色の文机の上に、やわらかな色みの紙風船が佇んでいる。テンテンはこれだと思い、ここへ来てからずいぶん経ったいま、ようやく声を絞り出した。
「ねえリー、あれ見てよ。珍しくない? ピンクと水色と白の紙風船。普通は赤と緑と青と……他、何だったっけ?」
「……黄色と白です……!」
「そうそう、黄色と白だった。あんな淡い色みもかわいいね」
「…………」
会話はすぐさま立ち消えた。小さな食台で向かい合い、双方視線を落としたままで時間だけが過ぎてゆく――。決して広くはない畳の間。清潔感ある古風な体裁が、いっそう沈黙を急き立てる。テンテンはもう一度、意を決して言葉を投げかけた。
「お茶飲まない? 喉かわいちゃって……リーも飲むでしょ?」
「……あっ、いいえ、ボクが入れます。テンテンはゆっくりしていてください」
「でも……」
「いいです。これくらいはボクが」
「そう? なら甘えちゃおうかな」
「ええ、ボクには存分に甘えてくださ……いや、別に変な意味でなく」
「…………」
真意の読めないリーの発言のせいで、余計に気まずい空気になった。
無言で緑茶をすするも、果てのない沈黙に耐えられなくなってきた。ここにネジがいるとき、「うるさい」と注意されるほどにふたりで話すのに、ふたりきりのこの状況で黙りこくっていることが、どうにも居たたまれないのだ。テンテンは部屋の脇にある押入れを開くと、中から浴衣とタオルのセットをふたつ出して、ひとつをリーに手渡した。
「せっかくだし、夕食の前に入っちゃいましょ。いちばんの目的はこれなんだから。あんたまさか、忘れていないでしょうね?」
「……はっ! 少し考え事をしていました……! もちろん、テンテンとの約束を忘れるはずがありません。い、一緒に大浴場に行きましょう」
「うん。あんたも疲れたでしょう? たまにはゆっくり休まないとだめよ」
「……ありがとうございます」
しつこいくらいに戸締りの確認をしているリーに、わずかに緊張がほぐれる。お揃いの入浴セットを持って風呂場へ向かうのが、恥ずかしくも嬉しかった。
深い赤の絨毯、焦茶色の柱と梁、白い壁。窓の外には枯色の冬の華。……隣にはリーがいて、こんなにもあたたかな年末休みはいつぶりか分からない。先に帰ったネジも一緒に来られたらよかったのに、と思う反面、ふたりきりのこの時間が、テンテンにはかえって都合がいいのかもしれない。リーが想う相手は自分ではないと、重々分かっているのだが。
細い渡り廊下の向こう側に、赤と青ののれんが見えてきた。もっと寒くなって雪が積もれば、ここの景色は格別なのだろう。
ふとリーを見上げれば、にっこりと笑いかけてくれて、
「……たぶん男のボクの方が早く上がると思うのですが、先に上がったらこの辺で待っていますね。テンテンは思う存分ゆっくり浸かってきてください。いつまででも待ちますので」
穏やかに言ってくれた。
赤い方ののれんをくぐると、木目と籐に囲まれた落ち着きのある風情が顔を出した。テンテンは、三班の「三」の籠を選び、額あてを外すと、ふたつにまとめたお団子をほどいた。……背中の真ん中くらいまである髪は、よくある栗色で……目の色も、髪と揃いの茶色である。リーが何年間も想い続ける相手とは正反対の風采なのが、いっそうの劣弱意識を煽るのだった。
リーの好きな女の子は――淡い桜色の髪に翡翠色の目、白い肌、女の子らしく華奢な体格で、良くも悪くも何もかもが普通のテンテンとはまるで違う。分かってはいても、悲しかった。
……鏡を見て落ち込んだって仕方がない。窮屈な任務服を早々に脱ぎ捨てると、小さいタオルを持って浴場へと進んだ。すると、
「……っかああ! 沁みますねぇ……! やっぱり温泉は最高です! さて、湯船でできるトレーニングは……」
すぐ隣の男湯で間抜けな声が響いていた。女湯には誰もいないようだったので、高い壁越しに声をかけた。
「ちょっとリー! そうやってひとりで喋るのやめなさいよ! っかああ! ってオッサンみたいだし、何言ってんのよ」
「……テンテン? まっ、まさか聞こえていたのですか?」
「聞こえるわよ! あんたって本当に馬鹿よね」
「へへ、早く来たからか、どうやらいまは貸し切りのようですね……貸し切り……?」
「もう、黙って入ってよ! 誰か来たら怪しまれるわよ」
「……貸し……切り……?」
「そこ強調しなくていいから! あんたの方が先に出るんでしょ? 早く洗って早く出てよ」
「……ああ、そうでした……早く洗う、……早く洗うトレーニングですね! 分かりました」
「本当に馬鹿なんだから」
さらさらと流れるシャワーの音――檜の洗面器がカウンターに触れる音。常日頃からありふれた音に、行き場のない羞恥を覚えるあたり、この憎めない馬鹿にどれほど侵されているのかを、
今さら知る。このまま朝までふたりなのかと思うと、眩暈がした。
のぼせそうになって風呂を上がる頃には男湯からの音は消えていて、些かぼうっとした頭で身支度をした。リーは浴衣姿でスクワットをしていた。
「テンテン! 顔が真っ赤ですよ! 大丈夫ですか?」
直後、そばに来てくれた彼と揃いの浴衣を着ていることが、嬉しかった。遠慮がちに肩を支えてくれるところにもどかしさを感じて、勇気を出して袖をつかむ。真ん丸な目をもっと丸く見開いたリーと、至近距離で目が合ったのも束の間……思い切り逸らされて恥ずかしくなった。
「……とりあえず部屋に帰りましょう。そろそろ夕食の時間です。たくさん食べて今日は早く寝た方がいい」
行きと同じく無言のままに、しかし、少し距離が詰まったまま、上気した意識の中で部屋に向かった。
部屋に帰るとすぐに夕食の配膳がはじまった。長閑やかな山の宿らしく、山の幸にあふれた和懐石はどれもおいしくて、向かい側で幸せそうに頬張るリーを見ていたら、いっそうの幸福に包まれた。
食前酒を、「これを飲んだらいろいろ危ないので」と言うリーの分も飲んだせいか、テンテンの方はすでに平静ではなくなってきていて、頬が熱を持っているのが鏡を見なくても分かった。
しかして、デザートも譲ってくれたリーに促され、苦しいお腹を抱えて窓際のソファに腰掛ける。テーブルを片づけて、続いて布団を敷いてくれた仲居さんが部屋を出れば、来たときと同様に、ひどい静けさに包まれた。……途端に気まずくなる。ふたりきりで夜を明かしたことなど、修行以外では一度としてなかったから。リーの方を見遣れば、唇を噛みながら、居心地が悪そうに俯いて立っていて、「座ったら?」と声をかけるも届かず、またしても沈黙の時間が流れた。
……しばらくして、意を決したかのようなリーが口を開く。
「……ボクはベランダで寝るので、大丈夫です。テンテンは安心して寝てください」
だがさすがにそれは受け入れがたく、抗議することにした。
「でも……リーだって任務で疲れてるのに、何も外で寝なくても……。一緒に寝ようっていうのもおかしいけど……私は大丈夫だから、部屋で寝て? そもそも、ここへ来たのは私の我が儘なんだし」
ところがリーはテンテンと一切目を合わさず、尚も俯いたままで言った。
「……だってテンテンは女の子なんですよ。ネジがいるならともかく、ふたりきりなんて、絶対にだめです! ボクだって男です……いくらボクでも油断してはいけませんよ」
「リー……私は、本当に大丈夫だから」
「だめです。だめったらだめです。何のために食前酒を飲まなかったのか……これでは意味がなくなってしまいます。テンテンこそ任務で疲れているのですから、早く寝てしまってください。見届けたらベランダに出ますので」
「……もう、強情なんだから……ごめんね。ありがとう」
言い出したら最後、まったく聞く耳を持たない彼のことを、誰より理解している自信がある。何より、リーがテンテンを「女の子」として見てくれていた事実が嬉しかった。柄にもなくそっぽを向いたまま、入れ替わるようにソファに座ったリーに「おやすみ」を告げると、彼の厚意? に甘えて、二組並んだ布団を贅沢に使って眠ることにした。
うとうとしながら、すぐそばに慣れ親しんだ気配を感じた。胸の下でつかんでいた布団をほどかれて、肩まで届くぬくもりにいざなわれ――ベランダの戸が開く音が聞こえたら、知らぬ間に夢の中へと訪われていた。
*
翌朝。一、二、三、四、と、数を読む声で目が覚めた。ベランダの外には幾度となく見た光景が広がっていて、テンテンは思わず笑みをこぼした。
「リー、おはよ! せっかくだから朝風呂でも行く?」
「テンテン! よく眠れましたか? ボクは見てのとおりばっちりですよ!」
「……うん。おかげ様でゆっくり眠れたわ。ありがとう。……布団をかけてくれて」
「……! まさか起きていたのですか? あのまま、テンテンが風邪を引いてはいけないと思って、すみません」
「もう、何で謝るの? 私が嬉しかったからいいの。ありがとう」
「いえ……よかったです」
どこまでも紳士的なリーを今以上に意識してしまえば、立ち直る自信がない。鋭い胸の痛みに気づかぬふりをして、無茶な笑顔を貼り付けた。
朝風呂の帰り、売店で土産物を買うリーがやけに活き活きしていて……ぴんと来たので問うてみたら、案の定。
「リーはさ……サクラのことが今でも好きなの?」
「えええっ? 今さらそんな……。テンテンは、分かってくれているものだと」
「そうよね……サクラってかわいいもんね……私もサクラみたいになれたらな」
「? いや、テンテンだって負けてないですよ! 自信を持ってください」
「……そうかな?」
「そうです、かわいいですよ」
「……リーは年下の女の子が好きなの?」
「年齢なんて関係ありません! サクラさんだから好きなんです!」
「そっかぁ……」
「おや? 元気がないですね? まだ遊び足りませんか? 年末年始、修行のノルマが終わったらどこへでも付き合いますよ」
「…………」
「どうしました? 遠慮はいりません! 何でもボクに言ってくださいね!」
「もう、何も知らないで……。やっぱり馬鹿なんだから」
この憎めない馬鹿のことが、テンテンはどうしても好きで、でも届かなくて、リーの好きな相手には、到底勝てっこなくて――この先もずっと一方通行なのかもしれないが、それでも、彼以外考えられないのだから仕方がない。
幸い、行き場のない熟れた想いをこれからも持ち続けてゆくことに、欠片の心配もなかった。なぜなら当のリーが、こんなにも屈託なく笑ってくれるから。この笑顔を絶やさぬために、これからも、リーの隣でずっと一緒に笑っていたいと願った。