2016.09.04更新
分家の女性と仲がいいところを目撃して嫉妬するヒナタ。
そんな自分が恥ずかしくて逃げ出すヒナタを追いかけるネジ。
時系列は、一部と二部のあいだにいたしました。[ヒナ⇔ネジ両片想い]作品としてこちらへ献上いたします。
*
短かった髪が、ようやく肩まで伸びました。
いつかもっと伸ばして、憧れのネジ兄さんのように、長い髪を靡かせて戦うんです。
……けれど理由はそれだけではありません。
ここのところ、どうしようもなく心に引っ掛かることがあるんです。
ふと、天を仰げば、幾分高くなった広い青から、柔らかな日の光が射し込んでくる。里一帯を綾なす木々に揺れる葉は、いつしか真っ赤に色づいて、そして散っていった。季節は、どこまでも澄みわたる秋。淡く褪めた風が、さらさらと髪をさらってゆく。
去年のいまと変わったことといえば、長らく疎遠だった一つ年上の従兄との間柄を、ぎこちなくても、どうにか笑い合えるまでには修復したということ。
そう、たったそれだけのことが、ヒナタにはどうしようもなく――
「うれしい」
日向宗家の縁側で、物言わぬ空に向かってひとりごちる。
……もしも直接云ったなら、如何にも訝しげな顔で、彼は無理やりにでも笑うのだろう。対外的には和解して、かつては当然の如く寄り添っていた、仲のいい従兄妹同士に他ならないのだから。
彼に余計な気を遣わせたくない。もう、二度と嫌われたくない。出来ることならば、次は心から笑い合いたい。
“忍一族の不条理な慣例によって父を喪った彼の、支えになりたい”
理不尽を強いた側の自分がそれを言える立場ではないのだろう。そのくらいは重々分かっている。しかし、いまも変わらず大切な人が苦しむ姿を見ているのが、ヒナタにはどうしても堪え難かった。
――あ、ネジ兄さん。
一族の当主である父・ヒアシが掛けた招集に、分家の面々が集まってきた。ヒナタの付き人のコウはすでに広間で準備をはじめている。手伝おうとしたが、やんわりと突っぱねられてしまって、定例の会議が始まるのを、縁側に座って待っているのだ。妹のハナビはというと、自室に籠もって本でも読んでいるのだろうか――なかなか出てこない。
宗家として分家のネジを迎える際、なぜだか、いつになく果てのない距離を感じる。いまだってそう。……目が合って、軽く会釈して、早々に視線を逸らされてしまった。
手持ち無沙汰ゆえに秋の空を見上げる。
後方より、コウが用意してくれた座布団に腰掛け、ヒナタと年頃の変わらぬ分家のくの一が、何やら小さな声で話しているのが自然と耳に入ってきた。
「ネジさん、こんにちは。今日もお会いできてうれしいです……だんだん秋が深まってきましたね。夜は冷えますが、お風邪などは引かれていませんか?」
「……ああ、心配には及ばん」
「あの……。もしよかったらなんですが、おかずをつくってお持ちしてもいいですか? 任務のお礼に、かぼちゃをたくさんいだたいて」
「…………」
「ご迷惑だったらいいんです。いつもお一人で大変そうだなって、勝手なお節介を申しあげているだけですので」
「いや、ありがとう……せっかくだからいただこうかな」
穏やかに言葉を交わす二人を視界の端に捕らえる。ネジは、忍になってからというもの、ヒナタには一度も見せたことのない笑顔を彼女に向けていた――。ヒナタの記憶が正しければ、確かネジはかぼちゃが嫌いだったはず。おそらく、彼女の厚意を、無下にしたくないのだろう。
……そう。ネジは、元来やさしい人なのだ。主と従の立場を超えて、そのやさしさをヒナタに向けてくれることは、いまや一切なくなってしまったのだけれど……。
恥じらいながらも、うれしそうにネジと話すくの一は、細くてきれいな長い黒髪が特徴的な、とても淑やかな女の子だった。長いまつげに紅い唇、華奢な体型、そのどれをとっても可憐で、誰が見てもかわいい子だった。
ようやく肩まで伸びた紺藍の髪に触れる。ヒナタだって彼女と同じ血が流れているのだ。決して大きく劣るわけではないけれど、華やかな彼女と地味な自分では、きれいなネジの隣にはどちらが相応しいだろう。……それは、火を見るよりも明らかであった。
「ヒナタ様。そろそろ始まりますので、こちらへどうぞ」
不覚にも、いまの状況を忘れるほどに考え込んでしまっていた。ネジのことになるとついむきになってしまう自分が滑稽だった。コウに連れられて自分の席へと着く。ネジに視線を遣れば、まっすぐにこちらを見据えていて、先ほど、あの女の子に向けていたものとは正反対の鋭さに、心がちくりと痛んだ。
「さて、皆揃ったな。ではこれより日向一族の定例会議を始める……」
この下らぬ寄り合いに、内容なんてあった試しはない。当主のヒアシの話を聞く振りをして、堂々と瞑想に耽るネジを、ヒナタはずっと見てきた。
ネジの隣に座る黒髪の彼女もそうだ。ヒナタ同様、ネジのことを終始気にしていた。
会議はすぐに終わった。ヒアシは宗家と分家の力の差について遺憾を述べていたが、それは自分への当てつけなのではないかと、ヒナタは悄然とした。そして、落ち込んでいるところへさらに追い打ちをかける光景が目に飛び込んできた。
……従来は話が終われば早々に帰っていたネジが、最近はよく件の女の子と笑顔で語らっているのだ。そっと耳を澄ませば、
「あの……。驚かないで聞いてくださいね? 私のこの長い髪は、強くて格好いいネジさんに憧れて伸ばしたんです。私もいつかあなたのようになりたくて……」
「フッ、それは酔狂というものだ。決してオレのようになるべきではない。何もいいことはないぞ」
「どうして? あなたはこんなにも立派なのに」
「……そんなことはない。オレは誰よりも未熟者なんだ。自分の感情にすら抗えず、いつまでも下らぬ意地を張って……。情けない駄目な男だ」
「……私でよければいつでも何でも話してください。同じく分家生まれの者として、寄り添えることもあるはずですので」
「ああ、ありがとう。その気持ちだけで十分だ」
ヒナタが言いたくても言えないことをさらりと言ってのける女の子。ヒナタとは違って、本当の意味で彼の気持ちを理解し得る立場。……ぼやんとしたヒナタとは正反対の、きりりとした顔立ちのかわいい子に、対抗できる手段など一つも見つけられなかった。
両の手の平を膝の上で結び、視線を落として俯いていると、不意に花のような香りが漂って、眼前に、宝石のようにきれいな黒い髪が揺れた。程なくして、儚くも、凛とした声が響く。
「ヒナタ様? 大丈夫ですか? どこか痛みますか?」
やさしい声色に些か安心し、ゆっくりと顔を上げると、きらきらとかがやく薄紫色の目、淡く色づいた頬、艶やかな唇が胸を刺した。それはさながら氷細工のように緻密で美しかった。
「…………」
そのまま、何も答えられずにいると、長らくのあいだ慣れ親しんだチャクラが近づいてきた。
「ヒナタ様……あなたも懲りない人だ。また無理をして出席したのですか?」
低く言い放たれた声は、ついさっきまで耳をかすめていたものとは、まるで違っていた――。恐る恐る視線を向ければ、ひどく冷たい薄紫色が目に入った。やはり違う。あの子に向ける目とは、全然違っている。ヒナタは再び俯いた。
「何とか言ってください。黙っていては分かりませんよ。またコウとオレの仕事を増やすつもりですか?」
「ネジさん、だめですよ。ヒナタ様はやさしい方だから、そんなふうに言っては気にされます。
えっと……ヒナタ様、女の私になら言えますか? ご無理は禁物です。あなた様はいずれ、日向を背負って立つお方なのですから」
「どうせオレのつける修行が厳しいなどと音を上げているのでしょう。体調管理も忍の心得だ。そうやって簡単に顔色を変えられては困る」
「……もうその辺にしておきましょう。実際にネジさんはヒナタ様に厳しすぎますよ。だけど、私も一度ネジさんの修行に参加してみたいです。だめですか?」
「ああ、好きにしろ。宗家と分家のどちらが飲み込みが早いか見ものだな」
「そんな言い方……。あ、ヒナタ様!」
気づけば、秋色に染まる里の中を一心不乱に走り抜けていた。褪めた風が頬を刺す。伸びかけの短い髪が、木枯らしに煽られて瞬く間に乱れていった。だが、そんなことはもうどうだっていい。重く黒い感情が蠢き、あの場にいることがどうしてもかなわなかった。
鼻の奥がぴりりと痛む。頬を生温い滴がすべり落ちる。際限なく乱れる息と嗚咽を、押し殺しながら必死に走った――。
どれほどの時間駆けてきただろう。いつの間にか、里の最果てへと辿り着いていた。地平線に夕陽が沈むのを、ただ黙々と眺める。ネジとあの女の子はどうなったのだろう? 今ごろ、あの子はネジの嫌いなかぼちゃ料理をつくっているところだろうか。……やはり胸が痛む。たとえばヒナタがあんなふうに言ったら、ネジは何と答えるだろう。「迷惑だ」と、ばっさり切り捨てられてしまうかもしれない。そう思うと悲しくて、再び涙がこぼれた。やがて声を上げて泣いてしまっている自分のことが、心底嫌になる。
だんだん薄暗くなってゆく森の中、一人で震えていたら、
「ヒナタ様!」
……後方から、耳に馴染む声が響きわたった。
直後、ヒナタは反射的に走り出していた。
「ヒナタ様!」
木ノ葉の里の外周を全速力で駆けてゆく。これは鬼ごっこなどという生易しいものではない。
追手との力の差は歴然であり、捕まるのはもはや時間の問題だった。まるで忍と忍の命がけの勝負のよう。しかしヒナタは立ち止まるわけにはいかない。下らぬ嫉妬に心を乱される自分を、ネジにだけは見られたくなかったから。
もっとも、すでに手遅れではあるのだが……。
「ヒナタ様! 待ってください! 急にどうしたのですか……!」
少しずつ、少しずつ距離を詰めてくるネジから逃れるように――足の裏にチャクラを溜めて加速する。するとネジも青いチャクラを散らしながら、信じられないスピードで追ってきた。三、二、一、と数を読み、もう一度勢いをつけようとしたその瞬間――。背中から、思い切り、力の限りに抱きすくめられた。
「きゃ! やだ、離して! は……離してください……!」
「嫌だ……離さない。なぜ泣いているんだ。そんなになったあなたを放っておけるわけがないでしょう。いったいどうしたんだ」
「何もないです。だから離して……やさしくしないで」
「? 何を言っているんだ。やさしいも何もこんなの当たり前のことでしょう。またあなたが無理をして倒れたりしたら心配するだろ! それの何がいけないんだ。あなたはオレのことがそんなに嫌いなのか」
「えっ……?」
逞しくなった腕にぎゅっと包まれたまま、はらり、はらりと、幾筋もの涙が頬を伝った。嗚咽に息が乱れたのを承け、ネジの腕にさらに力が込められた。
「泣くほど、嫌ですか……」
先ほどまでは張りのあった声が、嘘のように沈んでいる。ヒナタは我にかえって、鎖骨の辺りに回された腕に震える手を添えた。
「違います……。嫌じゃないです。離さないで……。私があなたを嫌いなわけない。今だって、あの子への嫉妬でどうにかなりそうなのに」
「……嫉妬?」
この際すべてをさらけ出してやろうと思った。ヒナタは、意を決して言葉を紡ぐ。
「私には絶対にあんなふうに笑いかけてくれないのに……。ひどいです。兄さんこそ私のことが嫌いなのでしょう。どうせ、仕方なく付き従ってくれているのでしょう。私のような地味な女の子より、華やかでかわいいあの子が好きなのでしょう」
捲し立てるようにして言うと、がっちりと包まれていた腕がほどかれ、背中に衝撃が走った。
背後の木に力ずくで押し付けられていると気づいたのは、わずかに時間が経ってからだった。
……冷たくも哀しい目で、ヒナタをまっすぐに見下ろしたネジが言う。
「好き? あなたの好きとはどういう感情をさすのですか? 『絶対に誰にも渡さない! どんなに卑怯な手を使っても自分のものにしてやる』あなたは、そんな感情を抱いたことがありますか? オレはあります。オレはあなたを無理やりにでも手に入れたいと思っていた。だいたい、あなたこそコウに向ける態度とオレに対するものでは全然違う……オレだってずっと嫉妬していたんだ。確かにコウは穏やかでやさしいかもしれない。だけど、忍としてはオレの方が格上なんだ。あなたを想う気持ちだって全然負けてない。怖がらずにオレを見てほしい……。笑いかけてほしい。望んではいけませんか?」
首を横に振ると、唐突に、口の中に熱く湿ったものが押し入ってきて、涙の味と混ざり合ったそれは、静かに音を立てて、上手にヒナタの心を駄目にしていった。
苦くて辛いその味は、想像していたものとはずいぶん違っていたのだけれど、神速に満たされた心に、柔らかな光が灯ったのだった。
もう一度、強く、強く抱きしめてくれた腕のぬくもりを、絶対に手放さない。
どんなに卑怯な手を使っても、必ずこの人を傍に繋ぎ止めてやる――そう思った。
*
はじめは、ただの小さなやきもちでした。
でも、それはいつしか自分でも抑えきれないほどに膨らんで、私の心を深く支配してゆきました。
……兄さんの心を手に入れたいまも、まったく変わりません。
それどころか、より一層真っ黒に色づき、そんなふうにしか彼を想えない自分が、心底嫌になります。
けれど仕方ありませんね。
誰しも自然とあふれてくる感情には抗えないのですから……。
そう、これからもずっと、あなたを離さない。重く黒い感情を持て余しながらも、今日も私はネジ兄さんを想っています。