2016.08.12更新
一部ネジヒナ、急に目の前で倒れてしまうヒナタを看病するネジ。
ネジが抱き止めて、コウとどちらが看るか対立する。
リクエスト当初の「熱」を「貧血」に改変しております。思いの外シリアスに仕上がりましたが、[ネジ→ヒナ片想い]作品としてこちらへ献上いたします。
分家の者どもをわざわざ呼び出しておいて、嫡子のあの生意気な態度は何なのだろう。
木ノ葉の里で最も由緒正しき一族といえる日向において、宗家に生まれた落ちこぼれ、それも長女のヒナタは、一月に一度のこの集会にも耐えられないほどに集中力に欠いているというのだろうか。
ただ歳が近いというだけの理由で、隣に座らされる羽目になった。思い出すのも忌々しい出来事に見舞われてからというもの、ネジは彼女が苦手なのだ。一時は、顔も見たくないというほどに憎悪が膨らんだこともあった。逆恨みだということは重々承知している。
元来、ほわんとした気立てのヒナタは、ネジの悪意を物ともせず、どんなに突き放しても聖者のような笑みを湛えて接してくれる。
その都度真っ黒な感情があふれ出して、我ながら手をつけられなくなってしまうのだ。
……同時に喜んでいる自分にも気づき、一層腹が立って適わない。
――出来ることなら、父上もヒナタ様も居る綺麗な世界で、いつまででも笑い合っていたかった。
「はぁ……」
まるでやる気の欠片もない、間の抜けた吐息が聴こえる――。
当主である彼女の厳格な父、ヒアシが一族の皆に向けて懇々と語り掛けているというのに、この状況でどうしてため息などつけようものか。
揃いの薄紫色の目、鋭い視線の端にヒナタを捕らえると、さらにその向こう側に、彼女を視界に入れている人物が見て取れた。
ヒナタの付き人然としているその人物へも、ネジはあまり善い感情を抱くことが出来ない。理由は分からない。しかし……。
彼が、ヒナタの無条件の信頼を得ているのを見ていたら、どうにも癪に障るのだ。
決して小さいとはいえない和室。一族の面々が一同に介しても十分に空間にゆとりがある。ネジの住む小ぢんまりとした分家の邸とは、天と地ほどの違いである。
畳の萌黄、壁の白、造作の媚茶。そのどれもが殺風景で、居心地が悪かった。こんなところで延々実りのない講話を聞かされるくらいなら、早く帰って鍛錬に時間を割く方がよっぽど有意義だ。
彼らの従者であるネジはこれを拒む術を持たないが、かねてより常々そう思っていた。
当主の声を上の空で聞きながら瞑想に耽る。それ以外に、この下らぬ時間をやり過ごす方法は無いものか。
……いつもそんなことばかりを考えていた。
退屈な集会が終われば、自宅へと帰るべく、早々に立ち上がった。
未だおかしな態度のヒナタをどうしても見過ごすことが出来ずに、ネジはまるで吐き捨てるようにして言った。
「ヒナタ様。なんだそのやる気のない態度は。仮にも宗家の人間がそんなことで大丈夫なのか? あれ……? おい……どうした」
すると隣のヒナタが急に体勢を崩したので、仕方なく肩に手を添えて、慎重に受け止めた。
そこへ彼女の世話役のコウが血相を変えて駆けてきた。
「ヒナタ様! 大丈夫ですか? ずっと顔色が悪かったので、心配していました……。また貧血ですか? 最近ご無理ばかりされているから……」
「コウ……ネジ兄さんも、ありがとうございます。心配には及びません……私は大丈夫です」
「どう見ても大丈夫じゃなさそうですが……。お部屋までお運びいたしますので、ご安心を」
「いいです……。自分で歩けます」と言って立ち上がろうとしたヒナタの足元が、あまりにもおぼつかなかったので、ネジは無意識に彼女の腕を掴んで自分の方へと引き寄せていた。
「仕方ない。オレも手伝おう」と申し出たネジを、コウは如何にも訝しがった視線で制した。
「ネジ……お前、さっき、ヒナタ様に何と言った? お前ともあろう者が一目見て分からないのか? 稀代の天才か何か知らんが、その自慢の目には、何も見えていないんだな」
以心伝心、ともいうべきか、コウもネジに対して善い印象を持っていなかったのだろうか。
だが、彼に恨まれる謂れはない。むしろ腹を立てているのはこちらの方なのだ。
――本当は、こいつの居場所はオレのものだったんだ。
忍としての才覚は、どう贔屓目に見てもネジの方が数段上である。コウと一線を交えたら確実に勝てることは容易に想像がつく。が、何故か彼には、根本的な部分で負けているような気がして、彼の前でのヒナタの油断しきった態度も相まって、無性に頭にくるのだ。
嫌い――ずっとそう思っていたはずなのに、コウとヒナタが穏やかに笑っているのを見ると、果てのない対抗心が沸き上がってきて、自分でも抑えることが出来なくなる。
ぐったりとしたヒナタを支えたまま、コウと無言で睨み合っていたら、腕の中の華奢な体が、完全にその重みを預けてきた。それは、思いの外軽く、意地悪な視点で見ていたがために彼女の不調を見過ごしたことに、ひどく胸が痛んだ。
「ヒナタ様……。どうやら気を失ってしまったようだ。とにかくオレも手伝うから部屋に運ぼうか」
ヒナタを軽々と持ち上げて、横抱きにする。コウは至極不服そうではあったが、黙って部屋までついてくると、両手の塞がったネジに、戸を開けてくれた。
ところが、終始複雑な面持ちで、何か言いたげにしていた。
しかして、ヒナタを布団に寝かせると、コウの方へと向き直った。
何か言いたいことがあるならはっきり言え――そう思った。
意外にも、コウが口にしたのは、
「……ヒナタ様はな、立派な当主になってお前を救うために必死で修行しているんだ。幾ら止めたって聞きやしない。意地を張るのは、もうやめたらどうだ。思ってもいない暴言を撒き散らして、一体何になるというんだ?」
にわかには信じ難い事実だった。
しばし返答に窮していると、バタバタと落ち着きのない足音が響いて、勢いよく襖が開いた直後、ヒナタの妹のハナビが入ってきて、濡らした手巾を投げつけてきた。
反射的に受け取り、ハナビの方を見ると、コウを顎で呼びつけて、すぐさま応じた彼と共に部屋を出て行ってしまった。
……このまま呆然としていても埒があかない。ハナビが持ってきてくれた布で、どこか青ざめたヒナタの額の汗を拭う。わずかに身じろいで、小さく唇を開いたので、そっと耳を傾けた。
「コウ……」
ため息混じりに口を衝いたその名に、一気に血の気が引いた。うつろな意識の中でもあの男を求めているのかと思うと、戦慄にも似た嫉妬の熱が、瞬く間に全身を駆け巡った。しかしそれも致し方ないことなのかもしれない。
……ネジは自ら手を離したのだ。これまでヒナタが差し伸べてくれた手を、情けも容赦もなく徹底的に踏みにじってきたきたのだから。
そう、それはただただ無慈悲に、ひたすら残酷に。博愛に満ちたヒナタであっても、さすがにネジのことを持て余していたに違いない。
「はぁ……」
今度はネジが嘆声を上げる。今さらどうにもならないことを悔いていると、
「コウ……ネジ兄さんは? ねぇ……コウなら知っているでしょう? 元気にしているかなぁ? また一緒に遊びたいな……また、ふたりで一緒に……」
鼻に掛かった――かつて幾度となく聞いた涙声が、耳を震わせた。
夢を、見ているのだろうか? ……幼い頃の記憶。
だってこの口調は、幼い頃、ネジに無条件に甘えていたヒナタそのものだから。
今は、コウに、取って代わられてしまったのだが。
「馬鹿だな……それならそうと早く言えばいいのに……怖がられて、避けられているのだとばかり思っていたよ……。オレはずっと待っていたんだ。あなたが救い出してくれるのを」
表情を失くし、綺麗に眠るヒナタを見下ろしていると、用を済ませたコウが戻ってきた。そして、
「ずいぶん身勝手なものだな」と彼らしくない冷たい表情を浮かべて云った。
「仕方ないだろ」すかさず応戦すると、
「ヒナタ様にとってお前は特別なんだ。ちゃんと自覚していてくれ。何も知らないお前こそが馬鹿だろ」
温和な彼には珍しく食って掛かってくるので、負けじと言い返す。
「うるさい。お前に何が分かるというんだ」
「分かるよ……ヒナタ様をずっと傍で見てきたから、痛いくらいよく分かる」
「それも癪だな」
コウを威嚇するかのごとく冷笑を湛えたまま、尚も静かに眠るヒナタの髪を撫でる。
「ん……」小さく声を上げて幸せそうに微笑むヒナタを、コウはやはり複雑な面持ちで静かに見守っていた。
今日のところはオレの勝ちだな、と、ネジは不毛な優越感に浸る。
だが、コウの言うとおりオレは救いようのない馬鹿なのだと、ヒナタの穢れのない、清らかな顔を見ていたら、己の薄汚れた闇を見せつけられたような気がして、しかし同時に洗われたような気もして――。
畢竟、今もヒナタはネジの大切な存在である。ということを、改めて痛感したのだった。