2016.07.17更新
レミオロメン『南風』
野原で二人でいるうちに、ネジのヒナタへのいとしさが溢れ出して止まらなくなる。
挙げていただいた曲のイメージである、「梅雨明け間近の初夏」に献上いたします。
★追記:リクエストをくださったkana様より続編を頂戴いたしました。2016.9.8
ヒナタと共に、もう、何度迎えたのかも分からぬ夏。
ここのところの非番といえば、早朝、互いに自宅での修行を終えたら、一緒に散歩に出かけることが決まりになっていた。
修行用の服を脱ぐと、軽く湯浴みをして、白と黒の忍装束に着替える。それから、腰まである長い髪を整えて、額あてを巻き、自分を待ってくれているヒナタを、日向宗家まで迎えに行く。そう、いつもと変わらない、平和な休日の風景である。
綺麗な綺麗な青い空、季節にそぐわぬ澄んだ空気に、心が逸る。早くその姿を視界に入れて、そうしたら穏やかに笑いかけてほしい。柄にもなくそんな不遜なことを考えながら、歩き慣れた道を急いだ。
……数日前に訪れた、十六回目の誕生日。未だ下忍や中忍の同期を置いて、早くも上忍に昇格しようかというネジに、ヒナタは、
「あなたが遠くへ行ってしまいそうで寂しいです。せっかくまた笑い合えるようになったのに」
泣いているのか笑っているのか、およそ、感情の読めない顔で言った。
その言葉がいったい何を意味しているのかなど、ネジには到底知り得なかったが……。
その声を思い出しただけで、自然と顔がほころんでくるのだから、どうにも可笑しい。
理由もなく空を見上げる。
鋭く突き抜けるような陽射しが、ネジの見る世界をただまっすぐに照らし出していた。
ヒナタと過ごす束の間の時間を、何より楽しみにしていた自分が、ひどく滑稽だった。
しかして、分家とはまるで比にならないくらいに立派な、宗家の門前までやって来た。図らずも笑みがこぼれるのを、慌てて引っ込める。
観音開きの押し戸を開けようと手を添えたら、不意に内側に引っ張られて、直後、その向こう側に、
「ネジ兄さん」
ほわんとした笑顔で出迎えてくれる、誰より大切な人がいた。
「おはようございます、ヒナタ様」
「待ちきれなくて出てきちゃった」
至極嬉しそうに笑うヒナタから、しばらく目を逸らすことができなかった。
まだ陽が昇りきらぬうちの、向暑の好日。ほんの少しの時間だけ、こうやって傍にいられるだけで、ともすれば命を削りかねない任務での疲れが、至ってゆるやかに癒えてゆく。
何よりも贅沢な時間、これ以上のことを望むつもりなど、微塵もなかったはずだった。
「……おかえりなさい。なんだか、数日間会わないだけで、すごく久しぶりに思えます」
またしても意図の汲めないことを口にするヒナタに、些か当惑しつつ、言葉を探した。
「……ありがとう。迎えてくれる人がいて嬉しいです。オレも、ずいぶん長く感じていたんだ」
そこには、精一杯の好意を込めたつもりだった。本当の想いを知られるわけにはいかなくて、嘘にならない範囲の事実を伝えた。
ところが、ヒナタの表情が、一瞬にして曇ってしまった。
「ヒナタ様」すかさず名前を呼ぶ。……しばしの沈黙の後、どこか、むくれた表情のヒナタが答えた。
「兄さんは『迎えてくれる人』なら誰でも嬉しいのですか?」
やはり分からなかった。最近のヒナタの言動の意味するところが、ネジにはまったく理解できない。
ふわりと微笑み合ったのが一転、重苦しい空気が流れる。鳥の群れの囀りが、うるさいくらいに耳をかすめてゆく。それでもせっかく会えたのだからと、いつもの決まりのコースを、無言のまま、二人で歩いた。
ヒナタに会ったら、話したいことがたくさんあったのに……少し残念に思いながらも、見晴らしのいい草原を目指した。季節の花が咲き零れるその場所を、ヒナタが「好き」だと言うので、非番の日の散歩では、必ず訪れるのだ。
文月を迎えた今は、白い星のようなほおずきの花が、見渡す限りの果てない緑を小さく彩っている。赤い実の方が好まれるようだが、控えめな白い花の方がヒナタみたいでかわいい――。
「今日は空が綺麗ですね」
心がほぐれて、自分でも笑ってしまうくらいに、似合わないことを口にした。
……不意に上を向いたヒナタが、何もないところで躓き、転びそうになったので咄嗟に抱き止めた。思いのほか華奢な体に、彼女もまた、命を張って戦う忍であることを想うと、胸が強く痛んだ。
「……大丈夫ですか?」
「……」
返答は貰えなかったけれど、決して嫌がっている風ではなく、ネジよりもずっと小さな手で胸元の生地を握りしめてくるのがかわいくて、
「危ないからですよ。悪く思わないでください」
見苦しい言い訳をしてから、ヒナタの手を取ると、繋いでそっと引き寄せた。ネジの大きな手の中、わずかに強張ったその手は、些か震えているようにも感じられたが、恐る恐るでも握り返してくれたので、言いようのないいとおしさが溢れ出した。
ヒナタと手を繋ぐのは、初めてではない。思えば十年以上前の幼い頃は、いつも当たり前のようにしていたことだ。何らおかしなことではないと、無理やり自分に言い聞かせた。
湿った南風が、二人の長い髪をさらってゆく。
燦々と降り注ぐ陽射しの下、否応なく汗ばむ手を、それでも離すことができずに、ぎゅっと、ぎゅっと握りしめる。さざ波のように靡く青々とした緑と白い花が、ことさら穏やかな、心地よい音色を奏でていた。
隣のヒナタを見遣れば、耳も頬も鎖骨も、目に見える範囲の、すべての肌を赤く染めて俯いていた。罪悪感を覚えないこともないが、隣にいることを許されたわずかな時間を惜しむように、ゆっくり、ゆっくり、確かめるように踏みしめて歩いた。
触れ合った手のひらは、今にも焼け焦げそうなほどに、熱く熱を持っている。
しばらくそのままでいたが、次第に耐えられなくなってきて、言葉を零した。
「……声が聞きたいです」
……思いがけず口を衝いたのは、もはや、告白とも取れるくらい、恐ろしく恥ずかしい台詞だった。
ところが、次いで、ヒナタが云ったのは――。
「……嬉しい……こうやって二人でいるときは、絶対に離さないで……」
ともすれば聞き逃してしまうほどに小さく掠れた声で紡がれた言葉に、この上ない幸せに包まれた。
そして再び口を開いたヒナタがくれたものは、
「……兄さん……あのね、少なくとも私は、『迎えてくれる人』が、あなたじゃなきゃやだよ。誰でもいいなんてことはない……でも、だからといって、同じように思ってほしい、だなんて、そんなことを望むのは間違ってることくらい分かってる……。けど、それでも願ってしまうの。ネジ兄さんにとって、ほんの少しでも特別な存在になれたらいいなって。……迷惑ですか?」
眩暈を覚えるほどにまっすぐな、儚すぎる想いだった。
不安げに見上げてくるヒナタに、手を繋いだまま、向き直ったネジが言う。
「すみません……オレは、まさか、ヒナタ様がそんな風に思ってくださっているとは知らずに、オレがヒナタ様を想うことは絶対に許されないことなのだと、ずっとずっと自制していました。本当はもっとあなたとの時間が欲しい。もっとあなたに近づきたいです。……望んでもいいのならば、もう遠慮はしない。いやむしろ、できないと言った方が正しいな」
その言葉を承けて、涙を流したヒナタを、壊れないようにそっと、やさしく抱きしめた。
生ぬるい風が吹く。
暑くても熱くても、どうしても離れることができなかった。
力なくそっと抱きしめ返してくれたヒナタがいとおしくて、心が溢れて止まらなかった。
――私も、もっとあなたとの時間が欲しい。もっとあなたに近づきたいです。だからこのまま、いつまでも離さないでくださいね。
ヒナタが注いでくれる心を、総て受け止めて……。同じくらいか、若しくはそれ以上の大きな慈愛を返したい。誰よりも大切なヒナタとの時間を、いつまでもいつまでも刻み続けたい。
綺麗な広い空の下、きらめく太陽の光が、重なる二人の影を、鮮やかに描き出す。
慈しむように繰り返された口づけの味は、切ないほどに甘く、心を強く揺すった。