2016.04.01更新
――あ、あの……。そのパペットを、私にいただけませんか?
――え……? な、なぜ? 何に使うのですか?
――それはないしょです……。だめですか?
――いや、別にかまわないが……。
――ふふ、ありがとうございます。
ネジを模したパペットを譲り受けてから、ヒナタは、いつも一人遊びに興じていた。
右手にはヒナタ、左手にはネジ。手と手を合わせて、決まって同じ会話に終始する。
「ヒナタさま……、ずっと言えなかったけれど、オレはあなたと仲良くなりたいんだ。……えっ本当に? ネジ兄さんは私のことが嫌いだと思ってた。……そんなわけないだろう? オレは、今も昔もずっとあなたを大切に思っている。……うれしい! 私もずっと思ってたの。今でも、あなたのことが大好きです。……オレもだ! ヒナタさま! いっそのこと結婚してくれ!」
このあとはいつも同じ結末を迎える。ふたりを模したパペット越しに、両手をきつく絡めて、ぎゅっと握りしめる。幼い頃のように、ネジに抱きしめてほしいのだと、本人には口が裂けても言えないから。せめて人形劇の中だけでも、願いを叶えたいと思うのだ。
……ため息をつく。
こんなふざけた茶番劇を繰り広げていることを知ったら、ネジは、果たしてどんな顔をするのだろう?
畢竟、呆れて物も言えないといったところだろうか。眉間に皺を寄せ、腕を組んだ不機嫌な姿が容易に思い浮かぶ。上忍になったネジは、敵視されていた下忍の頃に比べれば、ずいぶん丸くなった。遠くから鋭い目で捕らえられていた頃とは違って、穏やかな笑みを向けてくれることもあるくらいで、夢を見ているのではないかとさえ思う。
嬉しいはず、幸せなはず――。ところが、憎まれていた頃の方が、ずっとヒナタを見てくれていたような気もする。
――どんな感情だっていい。ネジ兄さんの心に、もっと私が居ればいいのに……。
望んではいけない。
今のネジがヒナタに笑いかけるのは、分家の一員として、その役割を全うしようという心境の変化に他ならないのだから……。上忍になって、彼も達観したのだろう。抗ったところで無駄、籠の中で生きる術を彼なりに模索しているのかもしれない。
すっかり角の取れたネジの心には、もはやヒナタの陰が見つからない。
……合わせていた両手をほどいて、可笑しな寸劇を再開する。
「ねえ、ネジ兄さん。私を、ちゃんと見ていてくださいね? 私にはあなたしか見えていないのですよ。今も昔もずっとあなただけ。……決まっているだろう? オレもだ。オレだってずっとヒナタさましか見ていない。……よかった。ずっと傍にいてください。約束ですよ? ……もちろんだ。さあ指切りしよう。ゆーびきーりげーんまん……」
再びため息をつく。
あのネジが、こんな下らぬ会話に乗じてくるわけがない。いくら何でも相当に馬鹿げている。
大切なパペットをしまおうと手を抜こうとした瞬間――。
「……ヒナタ様少しいいですか?」
襖の向こう側から、耳に馴染む柔らかな声が響いた。
「ネっ! ネネネネジ兄さんっ?」
やっと中忍に昇格したというのに、すぐ傍に迫ってきていた慣れたチャクラに気づかないとは信じられない。ヒナタは完全に油断していた自分を戒めたくなった。
さすがに今入られたらまずい。ところが早く外そうと思えば思うほど上手くいかない。
――ど、どうしようどうしよう……!
「入りますね」
「きゃっ……」
襖がゆっくりと開く――。間抜けな様子のヒナタを見ても、ネジはまるで事も無げな態度を貫いていた。
見つかった。両手に、二人のパペットをはめて遊んでいたところを見られてしまった。
思わず、真っ赤に染まった頬を人形で隠した。
「なっ、何の用ですか?」
半開きだった襖を閉めたネジが近づいてきた。それから悪戯な笑みを浮かべて言った。
「ヒアシ様にお話があって来たのですが、ヒナタ様があまりにも楽しそうだったのでオレも仲間に入れてほしくて……。よかったら、続きを見せてもらえませんか?」
「あ……あ……あ……」
羞恥のあまり言葉にならない。まさかあれを全部聞かれていたなんて……!
驚愕の表情のまま固まっていたら、ネジが自分のパペットに手を掛け、左手にはめた。
そして、奇妙な人形劇を無理やりに再開する。
「うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます、ゆーびきった。これで約束は成立ですね。絶対に破ったらだめですよ。ずっと傍にいてくださいね」
ヒナタを模したパペットごと、ヒナタの右手がネジの左手に包まれる。ぎゅう、と力をこめて握りしめてきたネジの手は、二つの人形を隔てても、信じられないくらいに熱くて震えていた。
伏せていた目に、揃いの藍白の瞳を映す。目が合った、瞬間――。
……思い切り強く抱きすくめられていた。
うるさいほどに響く心臓の音に、焦がれていたのは自分だけではないのだということを、強く強く実感する。ネジは、今もちゃんとヒナタを見てくれていた……!
幼い頃からは想像もつかないくらいに逞しくなった胸の中で、ヒナタは涙を堪えることができなかった。乱れる息をどうにか整えて、再び人形越しに語りかける。
「……もう絶対に離さないで……」
背中に回された、ネジの左手が動いた。
「ええ、約束です。もう一人で遊ぶのはやめてください。必ず傍にいて相手をしますので」
「……もしかして、声を聞いていただけじゃなくて、中で何をしていたのか、ずっと見ていらしたのですか?」
「ああ、あなたもご存知だと思いますが、オレには白眼という便利な目がありまして……」
「!」
「かわいかったから大丈夫ですよ。というか、面白かったです」
大きくなった右手で、伸びた髪を慈しむように撫でてくれるネジが心底いとおしい――。
ずいぶん間抜けなところを見られてしまったけれど、結果よかったのかもしれない。
……でも恥ずかしい。
色んな感情が綯い交ぜになりながらも、懸命に抱きしめ返す。
一層きつく抱きしめてくれた腕のぬくもりを、生涯忘れずにいると誓った。