2016.11.23更新
夜、バイトから帰ってきた彼の手が冷たかったので、手袋を注文しました。フェイクムートンの手袋。彼は黒、私はベージュ。色違いのお揃いなんです。喜ぶ顔を想像したら、自然と頬が緩みます。
いけません……今夜も遅くに帰ってくるネジさんに、変に思われてしまいます。
だけど、早くかわいい笑顔に逢いたいです。
私の大切な彼は、背が高くて品があり、硬派で男らしい人なのですが、実はものすごく綺麗な顔をしていて――隣を歩くのに気が引けるくらいなんです。けれど私が彼を好きな理由は、そんな表面的なことではありません。見ていて苦しくなるくらいに実直な人柄が好きです。ただただ真っ直ぐで筋の通ったところが好きです。不器用なほどに清廉な彼の支えになりたい。心から、そう思っています。
一つ年下の頼りない私に、出来ることなど限られているのですが……。
せめて、いつだって笑顔で明るく、一緒にいて、少しでも安心してもらえたらいいなと思います。
宅配は、ネジさんが帰ってくる少し前にお願いしました。それまでに夕飯の準備をして、お風呂を済ませて彼を迎えるんです。
ここのところ忙しい彼のため、好物のにしんそばを作って待つことにしました。すでに甘露煮とお出汁はできたので、あとは彼が帰ってきたら、お蕎麦を茹でるだけ。そろそろ運送屋さんが来られるので、シャワーを浴びておくことにしました。
二人で住む部屋の浴室は、お揃いのもので溢れています。ボディタオルに歯ブラシ、シャンプーとボディソープのセット。
色違いの髪から、肌から――同じ匂いがするのがすごく幸せなんです。
……宅配業者さんがいつ来られるか分からないので、急いで湯浴みをしました。だって、今日受け取って渡さないと、意味がないから。明日からもっと寒くなるみたいだから、彼の手が冷えきってしまわないよう、どうしても今差し上げたいんです。
ところが私って間が悪いのか、せっかく時間通りに準備していたのに、お風呂から上がってすぐのタイミングでインターホンが鳴ってしまいました……。
仕方がないのでドアホンから応対して、慌てて服を着ました。外は雪です。寒い中お待たせするわけにはいかなくて、どうにか人を迎えられる状態で出ていきました。そうしたら――。
運悪く、ネジさんが帰ってきてしまったんです。内緒でプレゼントしようと思っていたのに、通販したことがバレてしまいました。
見つかってしまっては仕方ありません。開き直りの境地で運送屋のお兄さんを見送って、彼を招き入れました。
「ネジさんおかえりなさい」
精一杯の笑顔を湛えたら、同じく彼も笑ってくれるはず。努めて明るく声をかけました。それなのに――。
「…………」
ネジさんは、無言で家に入っていってしまいました。いったいどうしたのでしょう? いつもは、私の大好きな穏やかな笑顔を返してくださるのに。
黙って服を脱ぎ、お揃いの部屋着を纏った彼は、そのままお布団に入ってしまいました。……バイト先で、何か嫌なことがあったのでしょうか。
先ほど届いた段ボールを開けると、包みから手袋を出し、彼の傍に寄りました。
……喜んでくださると思ったから。
「聞いてくださいネジさん。急に寒くなったので、お揃いの手袋を買ったんです。明日からもう手が冷たくなることはないです……ねぇ見てください。フェイクムートンですよ。かわいいし、絶対あたたかいです」
「…………」
ネジさんは何も言いませんでした。もしかして二人の共同生活なのに、相談もなしに無駄遣いしたことを怒っているのでしょうか?
「えっと……ネジさん? 今日、外で何かあったのですか? それとも、何か怒っていますか?」
「…………」
やはり返答はありません。何だか不安になった私は、大きく膨らんだお布団をめくりました。すると――。
どこか不貞腐れた様子の彼が、ようやく口を開きました。
「……前にも、言ったはずだが?」
こんな状況でも大好きな声が聞けて嬉しい、などと思ってしまう私は、彼に相当侵されています。
「何がですか?」
意味が分からなかったので問えば、
「なぜそんな格好で運送屋を迎えるんだ」
言われてはじめてハッとしました。
……慌てていたので、羽織ろうと思っていたカーディガンを忘れてしまい、キャミソールにショートパンツ一枚という体裁で人を迎えてしまったのです。
「や、やだ私ったらだらしない……こんなの、目の毒ですよね」
私の頬は瞬く間に羞恥に染まりました。……私なんかのこんな姿、目にした人が可哀想です。ネジさんは私に背を向けたまま、不機嫌に言いました。
「自覚が足りない。前にも言ったが……あなたのその体は、あなたが想像している以上に男の目を引くんだ。いくら何でも無防備すぎる」
やはりよく分からなくて、しばらくの間考え込みました。
そういえば彼は、私が人前で肌を出すことを極端に嫌がっていました。誰も私のことなんて相手にしないと思うのですが、一度機嫌を損ねた彼はなかなか手強いです。長丁場になることを覚悟し、意を決して言葉を投げかけました。
「大丈夫ですネジさん……私はあなたのものです。それに、あなたはちょっと物好きなんです。ご心配には及びません。私があなた以外の男の人の目に留まることはありません。買いかぶりです」
……考えて発言したつもりだったのですが、ネジさんは余計に怒ってしまいました。
「ヒナタ……全然フォローになってない。いい加減にしろ。あなたは自分のことを何も分かっていない」
どうしましょう。あたたかいお家であたたかいにしんそばを食べ、あたたかい手袋をプレゼントして喜んでもらいたかったのに――大好きなネジさんを怒らせてしまうなんて。
考えた末に、背を向けるネジさんの肩を掴んで引っ張り、無理やりこちらを向いてもらいました。それから、
「ん……」
血が繋がっているせいかよく似た形の唇に、ひどく下手くそなキスを落としました。……唇を離せば、
「ヒナタ……。この程度で許されると思っているのか?」
怒ったままのネジさんが、低い声で言いました。
「……きゃっ!」
それから、いつもならやさしく私に触れる彼が、少々乱暴に思えるほどの力で、ベッドへと押さえつけてきました。息を吸う暇もなく降ってきたキスは驚くほどに荒々しくて、どうしようもなく熱くて……心が、砕け散りそうになりました。
受け止めているのが精一杯で、応えることができなくて、そのまま全身に刻み込まれたしるしに、瞬時に溺れてしまいました。
いくら体を重ねても一向に慣れることはありません――電流に飲まれるような烈しい痺れに、ただひたすらに耐えていることしかできない。
甘えた声を上げ、体を撓らせる私のことを、ネジさんはきっとはしたないと思っていることでしょう。でも自分でもどうすることもできなくて、彼に身をゆだねるしかないのです。そして、それはすごく幸せなことなのです。
「ん……ネジ、さん……ネジさん……」
「ヒナタ……ヒナタ……」
うわ言のように繰り返し呼んだ名前は、私の心を深く占有する大切な人のもの。このまま死んでもいいとさえ考える私は、救いようのない馬鹿です。
だけど仕方がないの。好きで、好きでたまらなくて、あふれ出す感情の持って行き場なんて、どこにもないのだから。
何度か気を失いそうになって……それでも解放してはくれなくて……せっかく用意していたにしんそばは翌日の朝食になりました。すっかり機嫌を直し、至極嬉しそうにご飯を食べる彼が、心底いとおしかったです。
珍しくバイトがお休みの彼と一緒に家を出たら、色違いの手袋越しに手を繋ぎ、体を寄せて、冬の街を歩きました。
頬を刺す冷たい風とは反対に、触れ合ったところはすごくあたたかかったです。