2015.10.29更新
切なくて空を見上げれば――。
儚く、今にも消え入りそうな三日月が、夜霧の中に揺蕩っていた。
ある日、遠くに住む恋人から、クリスマスのグリーティングカードが届いた。軟らかな文字で綴られたその文章は、痛いくらいに胸を貫いた。独りぼっちの自分を気遣って、寂しくないようにと心を込めてくれた筈なのに、かえって苦しくなってしまって……次に会える冬休みまでの日を、まだかまだかと、指折り数え続けることになった。
――Happy Holidays!
今年は暖冬のようですが、風邪など引かれていませんか?
冬休みはなるべく一緒に過ごしたいので、ものすごい勢いで受験勉強に勤しんでいます。
春になったら、絶対にあなたの元へ行きます! このまま頑張って、必ず合格してみせます。
なので、そこで私を待っていて下さいね。
イブの日は、終業式も兼ねたクリスマスミサがあります。
「受けることよりも与えることの大切さと素晴らしさを考える」との言葉に、
真っ先にあなたのことが浮かびました。
私はいつだってあなたに与えていただいてばかりで……反省しました。
次にあなたに会う時は、少しでもお返しができるように成長していたいです。
二週間後、お会いできるのを楽しみにしています。
大好きなネジさんへ、
ヒナタより。
May your days be bright, and your heart be light!――
最後に彼女と会ったのは、ハロウィンの翌日の、一ヶ月半前のことだった。ここまできたら、あと少し、ほんの少しの我慢だというのに。また離れ離れになった瞬間から、ヒナタに会いたくて、会いたくて、毎日毎日、焦がれるように過ごしていた。
思い返せば、去年のクリスマスイブは散々だった。当時のネジは何も知らなかったとはいえ、残酷な事実を知って涙に濡れるヒナタを、半ば強引に抱いて苦しめた。その上、「もし自分たちが出会ってはいけない二人だったとしたら?」彼女のそんな切実な問いに、あまり深く考えずに答えた。そう、ここまできたら、もう後戻りは出来ないと。実際にその通りではあったが、当時のヒナタの痛みを思うと、何故もっと寄り添ってやれなかったのかと、後悔しきりだった。
――私も、もう、後戻りは出来ないけれど……あなたの傍にいてもいいものか……分からなくなってしまいました……でも、好きで好きで、どうしようもなくて……。
ヒナタは、「助けて」のサインを分かりやすいくらいに出していた。どうして気づいてやれなかったのか。初めての熱に溺れて、浮かれていたからだろうか。それからも、戸惑う彼女に何度も欲をぶつけて、最後の最後まで無茶をさせてしまった。一体、どれほど痛めつければ気が済むというのか。不安で不安で、真っ黒に蠢く感情を、ぶちまけずにはいられなかった。
いつだって総てを受け止めてくれるヒナタに、今でも残虐な劣情を覚えてしまう。そしてそんな自分が、恐ろしくなるけれど……彼女を好きな気持ちに、一切の偽りはないのだ。
早く会いたい。抱き締めたい。彼女の甘やかな熱を感じたい。ここのところ考えるのは、そんなことばかり。いい加減落ち着きたいのに、自分が、嫌になる。ヒナタを想うと、いつもは冷静な筈のネジが、途端に平常心ではいられなくなってしまうのだ。それにしても、ネジの方こそヒナタに与えて貰ってばかりだと思う。いつでもふわりと微笑んで、柔らかく包み込んでくれるその細い腕に、これまで何度救われてきたことだろう。
ネジにとってのヒナタは、もはや決して離れることの出来ない、大切過ぎる存在となっていた。
*
約束の日の朝は、以前と同様に、夜行バスの停車場へと、ヒナタが迎えに来てくれた。
思えば二人にとっての冬は、痛い思い出で埋め尽くされていて――。今年こそは、あたたかく平穏に過ごせたらと、祈りにも似た想いを抱いていた。その願いが通じたのか、去年の厳冬と打って変わって、過ごしやすい気候に恵まれた。共に迎える二度目の冬は、いずれ訪れる春への希望に満ちた季節となった。
おかえりなさい、と優しく微笑んで、ネジの父へと向けた供花を携えたヒナタは、相当に綺麗だった。襟に、ネイビーブルーのラインが入った濃紺のコートは、昨年にも見覚えのある高校の制服のものだ。彼女のこの姿も、そろそろ見納めなのかと思うと、些か寂しくもあった。そう、ヒナタの何もかも、全てを目に焼き付けておきたい。ヒナタの何もかも、全てを侵してしまいたい。ヒナタの、全てを手に入れたい。視界に、入れた瞬間。そんな独善的な感情に支配されて、今にも飲み込まれそうになった。
「会いたかった……! 本当に、会いたかったです……」
ネジの気も知らずに、真っ白な想いを紡ぐヒナタがいとおしくて、言いようのない焦燥が湧き上がってきた。こうなってしまえば、ネジにはもうどうすることも出来ない。すぐにでもきつく抱き締めたい衝動をどうにか抑え込んで、下手な笑顔を貼り付けた。
「ヒナタ……手紙、ありがとう。返事を出すべきだったのかもしれないが、オレにはまだクリスマスというものがよく分からなくて、カードを選ぶセンスもなくて……悪かった」
「いいの。きっと、忙しくされていたのかと思って、ご迷惑だったのではと反省していたくらいだから……これまであなたが独りで過ごしてきたクリスマスを、私が奪ってしまったあたたかい時間を、少しでも塗り替えられたらと……心から思います」
「まだ気にしていたのか。オレはもう大丈夫だから。あなたさえいれば、本当に大丈夫なんだ」
「ふふ、嬉しいです。あなたのことが、本当に大好きです」
*
ヒナタの高校の始業前に、月命日を迎えた父の墓へと訪れた。
ここへ二人で来るのは三度目だ。進学の為に地元を離れることになった自分に代わって、彼女が毎月欠かさずに来てくれている。正確には、以前からずっとそうしてくれていたようだが……去年の今日、幼い頃のヒナタを庇って亡くなったネジの父のことを知り、雪に塗れながら震えていたという彼女は、その後どんな気持ちで自分に会いに来たのだろうか。考えただけで息苦しくなった。
――父様。オレは、何とか幸せに生きています。新しい環境にも慣れて、友人も出来て……唯一心配なことは、ヒナタを想う気持ちが重くて、自分でもどうしようもないことくらいです。こんな時は、一体どうすればいいのでしょうか? 分かりません。
――叔父様。ネジさんの抱える寂しさを、私なんかで埋められるのかは分かりませんが……彼を想う気持ちは、それだけは誰にも負けないという自信と誇りを持っています。どうか、見守っていて下さい。ネジさんを、何よりも大切に想っています。
隣に並び、亡き父へと祈りを捧げていると、不意に、ヒナタが学生鞄から何かを取り出した。ふと、見遣れば、それは――。
小さなブロンズの石が、チェーンと共に十個ほど連なって、その真ん中に飾ったアンティークゴールドのメダイからもまたチェーンが伸びて、そこにも同じ石が一つ付いている。そして先端に十字架がぶら下がった、初めて見る不思議なブレスレットだった。
「ヒナタ。それは、何だ……?」
「これですか? これは、今日のミサで使うロザリオです。一年生の時のクリスマスに、神父様にいただいたんです。神秘の黙想という、祈りの形式があるのですが、自由祈祷に使ってもいいので。赦しを乞うたところで、私の罪は決して消えなくて、ネジさんの運命を変えられる訳ではなく、本当にもどかしいのですが……」
――あなたがいる。ただそれだけで、オレは幸せなんだ……それに、あなたさえいれば、他には何もいらない。今でも、心からそう思う。
――私も、いらない。あなた以外、何もいらない……!
かつて小さな教会の祭壇の前で、懸命に紡ぎ合った言葉が蘇る。二度と離れはしないと、永遠を誓った筈なのに。こうやって傍にいることが、どうあっても彼女を苦しめてしまうのかと悲しくなった。ヒナタの左手の薬指には、その時にプレゼントしたシルバーリングが、尚も大切そうに嵌められている。どんなに自分を責めても、すでに起こってしまった過去を消すことなど出来ない。ならば前を向いて、これからの幸せについて考えてゆくしかないというのに。
しかし、ネジはヒナタを手放すつもりなど微塵もない。むしろ、絶対に誰にも渡したくない。ヒナタが幾ら罪の意識に縛られようとも、幾ら心を痛めていようとも……我が儘だとは分かっていても、自分の傍に置いておきたかった。
――主祷文
天にまします我らの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを、
御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。
我らの日用の糧を今日我らに与え給え。我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え。
我らを試みに引き給わざれ、我らを悪より救い給え。
アーメン――
幾度となく塞いだ唇から、静かに紡ぎ出されたその祈りの文は、ネジにはよく分からない内容だった。けれどもクラシカルなブレスレットを手にし、指を絡めて目を閉じる横顔は、消え入りそうなくらいに綺麗だった。聖母マリア様と見紛うほどに清らかだった。
こんなにも真っ白なヒナタを、自分の濁った色に染め上げて、逃げられないようにしてしまいたい。そんな破滅的な考えが頭をよぎり、言いようのない恐怖を覚えた。
*
一旦家に戻り、終業式を終えたヒナタを迎えに行った。クリスマスイブを迎えた港町は、例に漏れず沢山の装飾に彩られていた。ところが折角だからどこかへ行こうと言うネジを、ヒナタは制止した。
「本来、クリスマスというのは、家で過ごすものなんです。家族と一緒に過ごす喜びを確認する日なんです……あなたが経験する筈だった、私が奪ったあたたかい時間を、どうにかして埋めたい……私で、よければですが……」
真っ直ぐに自分を想ってくれるヒナタを、心底いとおしいと思った。無理矢理に繋ぎ止めなくても、彼女が自分の元を去って行くことはない。大丈夫だと言い聞かせて、どうにか微笑んだ。それよりも約二ヶ月振りに会った恋人と早く二人きりになりたい。冷え切ったヒナタの手を取って、いつものようにポケットへと捻じ込んで歩き出した。
「しかし嬉しいな……何をして、埋めてくれるんだ?」
「クリスマスといえば、ご馳走とケーキです。それからプレゼントも……駅前のコインロッカーに、色々と預けてあります。取りに行って、あなたのお家に向かいましょう」
ヒナタに連れられて行った場所には、信じられないほどの大きな荷物が入っていた。ともすれば一週間は寝泊まり出来そうなくらいの大きなボストンバッグを出してきた時は、さすがのネジも、驚きを隠し切れなかった。いつものように持ってあげると、あまりの重さに、ここまで一人で運んだヒナタを想うと、何とも言えない気持ちになった。
しかしてネジのマンションに着くと、ヒナタは性急にコートを脱いで、いそいそと準備を始めた。忙しそうにしている彼女に、手伝うことはないかと問えば、本でも読んで黙って待っていて欲しいと言う。仕方がないので、ベッドに寝転んで言われたとおりにした。
少しして、キッチンとリビングを隔てる廊下の方から、ガタガタと大きな音がした。ひたすらに文字を追いかけていた目を向ければ、就園前の子供と同じくらいの高さのクリスマスツリーが運ばれてきた。白い葉にブルーの装飾が施されたモミの木には、揃いの青と白の電飾が煌めいていて……とても綺麗だった。幼い頃といっても、ネジが四歳の時にまで遡るが、父・ヒザシもまた、息子と過ごすクリスマスを盛り上げようと努力してくれていたような気がする。思い出そうとしても、何故か、記憶にもやがかかってしまうのだが。
長い髪を束ね、制服の白いブラウスの袖を捲り上げたヒナタの姿は、柄にもなく気合いが入っているように見えて、どこか微笑ましくもあった。
さて、簡素だったテーブルが、徐々にクリスマスカラーへと染められてゆく。白と青、それからシルバーで彩られたそこは、男の独り暮らしだったとは思えないくらいに華やいでいた。
「ネジさん、座って下さい。少し早いですが夕飯にしましょう。あ、そうだ。その前に、クリスマスプレゼント、というほどでもないですが……」
廊下の奥に引っ込み、また戻ってきたヒナタが手にしていたのは、ミカン箱くらいのクリームイエローの箱に、ベイビーブルーのサテンリボンが掛かった大きな包みだった。固めに結ばれた蝶々結びをするりとほどくと、ネジにはまるで理解できない、淡いグレーの、もこもこの服? 寝間着? が出てきた。些か呆然としていると、ヒナタが傍へ来て、それに着替えて欲しいと言う。仕方がないので、彼女がキッチンに戻ったのを確かめると、よく分からないふわふわの部屋着? に身を包んだ。
暫くしてリビングへと姿を現したヒナタは、先程宛がわれた服に似た素材の、もこもこの白いカーディガンを纏っていた。同じ素材のリボンが付いたヘアバンドを着けたヒナタは、仔ウサギのようだった。だが大きめサイズの羽織の下には、白いチュールのフリルが段々になったキャミソールと、揃いのショートパンツ、もこもこのハイソックスが見えて……その無防備な風采に、卒倒しそうになった。
「ヒナタ……あなたは一体、何ていう恰好をしているんだ」
「カーディガンが、色違いのお揃いなんですよ? 家で一緒に過ごすクリスマスを、同じ部屋着で、リラックスして迎えられたらと思って……」
「……どうだろう。リラックス、出来るかな? オレにはあまり似合っていない気もするが……でも、すごくあたたかい、かな」
「ふふ、よかった……さあ、キャンドルに火を灯しますね。二人だけのクリスマスパーティーです。お父様には泊まりの許可を貰っているので、今夜はゆっくり出来ますよ」
眼前には、白とブルーで統一された、幻想的なクリスマスの世界が広がっている。きらきらと瞬く小さな電飾が、二人の顔を、柔らかに照らし出していた。
それからヒナタが運んでくれた料理は、彼女に似てとても優しい味だった。都会に独りでいると、あらゆることが至極どうでもよくて、毎日何を食べたか覚えていないくらいだったので、久しぶりのあたたかいごはんに、この上ない幸せを感じた。
腹が満たされたところへ、後片付けを終えたヒナタが出してくれたのは、細かな粉糖に包まれた、パンのようでいて、甘いフルーツとラム酒の香りに包まれた洋菓子だった。
「コウさんに教わって、頑張って手作りしたんです」
「……初めて、見るな」
「ドイツのクリスマス菓子の、シュトーレンですよ」
「アルコールが入っていそうだが、あなたは大丈夫なのか? オレの家系は酒に強いようだが……と、いうことはあなたも大丈夫だということになるか」
「たぶん……」
こうやって何気なく過ごしていたら忘れそうになるが、二人は父親同士が双子の、極めて血の近い従兄妹なのだ。体質が似ていたとしても、何らおかしくはない。かつて大学の友人から「禁断の香りがする」と揶揄されたことを思い出した。血が近いから――似ているから――こそ惹かれるのではないかとも思うが、それよりも、日向ヒナタという一人の女の子に心を侵されて、重く滾るような黒い感情を、自分でも止めることが出来ないから。彼女の心が離れていかぬよう、重くても見苦しくてもしがみついているしかない。
――欲してやまないヒナタを、誰も居ない二人だけの世界に、縛り付けてしまいたい。
そんな馬鹿げた情動に突き動かされそうになっていると、あっという間に酒に酔ったヒナタが、ネジの肩へともたれかかってきた。途端にどうしようもない不安が頭をよぎった。
「……あなたはこの焼き菓子の作り方を、アルバイト先のマスターに教わったと言っていたな。試作はしたのか?」
「美味しくないですか?」
「いや、そういう訳ではないが……少し、気になることがあって」
「もちろん、練習に練習を重ねましたよ。あなたに、喜んでいただく為に……」
「どこで?」
「……アルバイト先の、喫茶店でですよ?」
「味見はしたのか?」
「もちろんです……コウさんが、このお菓子に合う紅茶を入れて下さったので。あの、それが何か?」
不意に、戦慄にも似た、不穏な感情が頭をもたげた。
どうにも収まらなくて、アルコールのせいか、鎖骨の辺りまでをピンク色に染めたヒナタを、冷たい床へと押し倒した。その大きな瞳は、ひどく潤んでいた。一口食べただけでここまで艶っぽく色づくヒナタに、あのマスターは一体何を思ったのだろう。考えただけで頭に血が上った。ヒナタは相変わらず自分のことに無頓着で、男の目に映る姿を、全く以て意識していないようだ。
――恐らくあなたが思っている以上に、あなたの体は男の目を引くんだ。だから、もう少し自覚していて? あなたは、オレのものだろう?
だから、言ったのに……! 彼も親戚だと聞いているが、そんなことは関係ない。男というものは、相手が実の母親や祖母でもない限り、刺激を受ければ情欲を募らせてしまうものだから。
唇を塞げば、これまでのヒナタからは考えられないくらいに深く……その小さな舌を、夢中で絡ませてきた。それもまた酒に酔ったせいなのかと思うと、これから大人になってゆく彼女が、心配で心配で、堪らなくなった。もし、外でこんな風になって、自分以外の男の手に堕ちたら?
怖くて、怖くて、我ながら信じられない行動に出てしまった。
貪るような口づけに、蕩けた視線を向けてくるヒナタの目を、ふわふわのリボンが付いた白いヘアバンドで隠して――。半端に脱がせたカーディガンで手首を縛って、動けないようにした。すかさずその細い腰に跨って、キャミソールを捲り上げる。そうすると、露になった下着に、さらに煽られてしまった。クリスマス仕様とでも言いたいのか、赤いタータンチェックの心許ないそれは、ヒナタにはどうもサイズが合っていないようで、今にも零れ落ちそうな胸の膨らみが、余計に劣情を駆り立ててきた。
白とブルーの電飾が煌めく部屋で、ヒナタの鮮やかな下着だけが、はっきりと浮かび上がって見える。彼女は、一体何を思って柄にもない姿で自分を当惑させるのか、全く分からなかった。
瞬く間に立ち上がる淡いピンク色の頂も、ねだるような甘い声も、すぐにとろとろに溶ける花びらも……絶対に、誰にも見られたくない。一生、自分だけのものにしておきたい。ヒナタの始まりも終わりも、全てを独占していたい。こんなにも可愛く酔っ払う姿を、初めて見せる相手は自分がよかった――。醜い嫉妬の熱に飲まれて、また思い切り、穢れた欲をぶつけてしまった。ヒナタは、これまでに聞いたことがないくらいの艶めかしい声を上げて……手首を縛ったせいで不自由になった体を撓らせながら、はしたないほどにひどく乱れていた。
「ネジさん、駄目。こんなの、駄目です……せめて、目を……」
「こんなになっておいて、それは無いだろう?」
庇護すべき者への加虐心に、神速に急かされてしまって――。直接彼女を貫き、その中に全てを吐き出したいという衝動を、僅かに残った理性で抑え込んだ。
乱暴にしたせいで、目を覆っていた白いリボンが首までずり落ちて、ようやくネジの姿を捕らえた瞳は、もはや別人と見紛うほどに艶を帯びていた。急激に昂ってゆく熱を抑え切れなくて、壊れそうなくらいに激しく、何度もヒナタの中で上り詰めた。
全てを終える頃には、ヒナタは相当に疲れ切っていて、絡んだままの細い手首も、乱れた長い髪も、濡れたまつげも、整えることが出来ずに、力なく横たわっていた。少し心が痛んだが、しかしヒナタを想うと苦しくて、その華奢な体に、縋らずにはいられなかった。それは自分だけに唯一許された、彼女は自分のものであるという征服欲を満たす為の、たった一つの方法だから。何度抱いても、どんなに滅茶苦茶にしても、絶えず溢れ出す不安は、決して払拭されることはないけれど。
「も、もう……ネジさん……わ、私、恥ずかしいです。こ、こんな状況で、はしたない声を上げて、信じられないくらいに乱れて……あの、呆れないで下さいね? ど、どうか、嫌いにならないで下さい……」
それでもヒナタは、真っ黒なネジを、真っ白な心で健気に想っていてくれる。その内呆れられるのも、嫌われても仕方ないのも、どう考えても自分の方だと言うのに。
――何故だろう……ひどく、息苦しい。
どうにも居た堪れなくて、ヒナタの体を起こして縛りを解き、華奢な手首にそっと口づけた。
そして不安そうに見上げてくる唇にもキスを落とせば、ピンク色に染まった頬をさらに火照らせて、ヒナタはとりわけ優しく、柔らかに笑ってくれた。その聖女のような笑顔に、罪人の如く淀み切った心が、ほんの少しだけ、救われたような気がした。
「……嫌いになんか、なれる訳がないだろう? それを言うなら、オレの方だ。こんなにも綺麗なあなたに……無垢だったあなたに、恐ろしいくらいの欲をぶつけて。駄目なんだ……あなたのことになると、途端に感情の抑制が効かなくなって、自分でも怖いくらいに侵されてしまうんだ」
「……大丈夫です。それは、私も同じだから……私は、あなたのことがとても好きで……自分でもどうしていいか分からなくて……体を重ねる度に心を侵されて……もっと触れて欲しいと、求めてしまう……」
言い終わるより先に、もう一度、その唇を塞いだ。それからネジの胸に手を添えてきたヒナタを、思い切り強く、壊れそうなくらいに強く抱き締めた。ただでさえふわふわなヒナタが、もこもこの生地に包まれて、より一層、甘やかな感触に変容していた。とてもあたたくて、幸せで、このまま、死んでもいいとさえ思った。
窓の外を見遣れば、空は、すでにダークブルーに染まっていた。部屋の中では、クリスマスカラーの電飾が、尚もきらきらと光を散らし続けている。見慣れた家の風景が、大切な人によって鮮やかに彩られて、これまで孤独に過ごしてきた暗闇の日々にも、少しの明かりが灯ったような気がした。
夜、眠るヒナタの首元に、ハートの南京錠を模した、小さなネックレスを掛けてやった。鍵を掛けて深く沈めて、あなたを決して離さない、との意味を込めて。そんな後ろ暗いことを、言える筈がないけれど。
朝、眠りから覚めたヒナタは、何も知らずに、真っ直ぐに喜んでくれた。
Melt the clouds of sin and sadness: drive the dark of doubt away.
Giver of immortal gladness, fill us with the light of day!
――罪と悲しみの雲を散らし、疑念の闇を払い除けよ。
――不滅の喜びを与える汝よ、我らを光で満たし給え!
歓喜の歌と題された、果てなく澄んだ歌声が、聖なる日の朝を、穏やかに綾なしてくれている。
この港町には古い教会が沢山あって、ネジの住む殺風景な都会より、幾らかあたたかい。
何よりここにはヒナタが居る、ただそれだけで、ネジには大きな意味を持つから。
――来年も、再来年も、五年後も、十年後も……こうやって、クリスマスの朝を共に迎えたい。
――心変わりしないで、ずっとずっと、オレを想っていて欲しい。
静かに、確かに……ネジの心はただ、ヒナタへと埋もれてゆく。愛して、必要だと思っていて欲しいと、痛切に願う。
「もちろんです。十年後は……できれば家族になって、可愛い子供たちに囲まれていたいです」
「心変わりなど、する筈がありません。だから、そんな顔をしないで下さい」
溢れ出す心を掬い上げてくれるヒナタが、何よりいとおしい。
ヒナタはどんな時も、ネジを照らす優しい光だ。
何があっても絶対に離さない、また強く念った。