2015.10.03更新
――バレンタイン? また、あなたはそんなものに踊らされて……。
――ふふ、駄目ですか? ネジ兄さんだって、楽しみにされているのでは?
――どうせオレは、女に縁がないからな。
――ネジ兄さんはせっかく綺麗な顔立ちをされているのに、ちょっと怖いから……。
――もしやヒナタ様は、他の誰かにあげたことがあるのか?
――えっ? は、はい……キバ君とシノ君、それからナルト君に。
――何だと?
また、ネジ兄さんを怒らせてしまいました。
私、鈍感だから、いつも余計なことを言って、兄さんの機嫌を損ねてしまうんです……。
――オレの をヒナタ様の で して下さい。そうしたら機嫌が直ります。
――ええっ? そ、そんな……そんなの、無理です。
――ならば帰って下さい。
――それは嫌です。
「…………」
「…………」
朝からこの調子で、押し問答を続けています。ああ、せっかくバレンタインデーに一緒にいられるというのに、私は一体どうすればいいのでしょう。
一年で一番寒い雪消月のことです。ネジ兄さんの屋敷にある冷え切った台所で、私は洋菓子作りに勤しんでいました。もうすぐ旬の甘酸っぱい苺をピンで刺すと、溶かしたチョコレートに浸して冷やし固めます。簡単ではありますが、気の利いた調理器具など何もない彼の家では、これが精一杯だったのです。
家主のネジ兄さんはというと……先程の私との会話にすっかりへそを曲げて、不貞寝してしまいました。今でこそ恋人同士として寄り添って下さるものの、ネジ兄さんはそもそも気難しい人なのです。
そう、兄さんは、普段はクールに振る舞っていますが、私の前ではひどく甘えん坊で、別人のように我が儘になってしまいます。
そんな彼を、心底いとおしく思います。
「ネジ兄さん、出来ましたよ」
努めて静かに寝室の戸を開ければ、ネジ兄さんは私を一瞥して、また布団に潜り、子どものように拗ねたままでいました。
何だか可愛くて、思わず彼を、布団ごと抱き締めました。
「ね、一緒に食べませんか?」
優しく声を掛けると、ネジ兄さんは布団の中からこちらをそろりと窺ってきました。その姿はやはり可愛くて、この上ない笑みが零れました。兄さんも、笑ってくれました。そして、あなたには敵わないな、などと呟きながら、如何にも不本意そうに出てきてくれました。
居間に向かうと、甘くてほろ苦い香りが鼻を掠めました。食台には、白いお皿の上に、苺の赤と、深い茶の色合いが綺麗な、手作りのチョコレート菓子が並んでいます。早く食べて欲しかったので、渋り気味のネジ兄さんを促しました。
「どうぞ、座って下さい」
台所へと戻った私は、温かいカフェオレを二人分入れて、もう一度居間へと向かいました。
機嫌を直したと思われるネジ兄さんの口にお菓子を運ぶと、眉間に皺を寄せながらも、どこか嬉しそうに頬張ってくれたような気がしました。私は、このかけがえのない、何気ない日常の中の幸せを噛み締めました。ところが、幾つか食べた後も仏頂面を崩さないネジ兄さんに、ほんの僅かな不安を覚えました……。
「ネジ兄さん……まだ、怒っていらっしゃるのですか? それとも、お口に合わなかったですか?」
その表情を覗き込むと、何とも形容し難い、含みのある顔をしていました。私と同じ色の、大きくて凛とした瞳をこちらへ向けて、片方の口角を上げた彼は、やはり子供のような顔をしていました。
「オレの顔はそんなに怖いですか? 少し、ショックだな」
「そ、そんなことないです!」
慌てて否定すれば、ネジ兄さんには珍しく、本気の笑顔で吹き出されてしまいました。
「もう、からかわないで下さいっ!」
むきになって言い返せば……悪戯な笑みはどこへ行ってしまったのか、不意に、いつもの大人びた笑顔を湛えた兄さんが、切ないほどに真っ直ぐな瞳を向けて、こう言いました。
「あなたとこうしていると……あの時死ななくて本当に良かった。生きていて本当に良かった。心からそう思います」
あの戦争で私を守り、自分自身も生き延びられたからこそ、今こうやって傍にいる幸せを感じられる……ネジ兄さんが聞かせてくれた宝物のような想いに、私の胸は、痛いくらいに締め付けられました。
「ネジ兄さん……私もです。兄さんが傍にいて下さって、本当に本当に幸せです。もう、私の為に命を投げ出すようなことは、絶対にしないで下さいね」
そう言って彼をふわりと抱き締めると、勇気を出して、そっと口づけました。
「珍しいな。あなたからしてくれるなんて」
するとネジ兄さんも私を抱き締め返してくれて、そのあたたかい腕の中は、苺とチョコの、甘くて優しい香りに包まれていました。
それから私は、確かめるように言葉を紡ぎました。兄さんは、終始柔らかな声色で応えてくれました。
――幸せですね。
――ああ、そうだな。
――ずっと一緒にいて下さいね。
――そんなこと、確かめるまでもないだろう?
願わくは、このかけがえのない時間が、いつまでも、いつまでも続きますように。
何度もすれ違い、遠回りしてやっと手に入れた幸せに、そう祈らずにはいられませんでした。