2017.04.30更新
「近々揃って非番の日があったら、一緒に桃の花を見に行こうよ。ガイ先生も誘ってさ」
「それはいいですね! そういえばもうすぐひな祭りですもんね。女の子のテンテンの節句を、みんなで盛り上げようじゃないですか! では、ボクはおにぎりを作りますね」
「あら、リーったら気が利くじゃない。じゃあ私はおかずを持って行くわ。ネジは……そうね、お茶を持って来てくれる? ガイ先生には、ひなあられとひし餅を買ってもらおうかな」
「……まだ行くと言ったわけじゃない」
「いやいや、来るでしょ? せっかくなんだから来なさいよ……いつまでもスカしてないでさ」
「そうです! 素直に来ればいいでしょう。来ないと言っても無理やり迎えに行きますからね」
「…………」
――下らない。花など見ていったい何になる? 昔のネジなら間違いなくそう思っただろう。ぞんざいな理由をつけて、固辞したことだろう。
ところが去る冬の終わりに、中忍選抜試験の本戦にて……憎んで憎んで憎み続けた男に、亡くなった父の真実を知らされて、その相手の前で不覚にも涙を零してからというもの、情けなくも迂闊だった自分を一時は嘲りもしたが、翻って、延々立ち込めた霧がすっかり晴れたかのような境地に陥り、劇的に視界が開けたのだった。
さらにはまったく可笑しな話ではあるが、これまで当たり前のようにそばにいた仲間を見る目も、一様に様変わりした。いつも騒々しい班員が、時折鬱陶しいこともあるのだけれども、未熟な自分をさらりと受け入れてくれる彼らを、ほんの少しだけ、好きになれたのだった。
風はまだ冷たいが、陽射しがやわらかに、やさしくなってきた。
春が間近に押し迫ったある日の好日。まるで定例の仕事のように顔を出すようになった宗家、永らく恨み続けた宗家へ、いつものように修行をつけてもらいに来た。かつてのことを思えば、この家の者ともずいぶん打ち解けたかのように振る舞っているものの、父と瓜二つの双子の伯父は、顔は同じでも人格は百八十度違う気がして――完全には心を傾けられないままでいた。
「あの、お茶を……」
この、一つ年下の従妹もそうだ。長年の癖で、例の如く警戒してしまう。
だが決して嫌いではないと思う。むしろ……
「いいお天気ですね……春はもうすぐそこ」
ネジの隣で果然ふわりと微笑むヒナタに、平和だった頃の関係性を重ねて、言いようのない怒りがこみ上げてくることさえある。出来ることなら別の形で出逢いたかった。大切だったはずの相手を傷つけずにはいられなかった運命を、受け入れるにはネジはまだ幼すぎたのだ。
「ああ、春といえば……桃の花を、近々仲間と見に行くことになりましたが、あまり気が進まない」
絶えず髪をさらうゆるやかな空気に、普段なら耐えられる沈黙に我慢がきかなくなった。思えばネジから会話を切り出すのは珍しく、明らかに慌てた様子で言葉を探しているヒナタに、幾らか申し訳なくなった。
「あの、えっと……その日は何を着て行かれますか?」
直後飛び出したのはあまりにも唐突な問い掛けで、些か拍子抜けしたネジは正直に、
「いつもの任務服で行くつもりですが……あいにく和服とこれしか持っていない」
飾らずに答えたのだが、これが間違いだったのか正しかったのかは分からない。
「わっ私もちょうど、普段着られる服を持っていなくて……今日にでも買いに行こうと思っていたのですが、よろしければ兄さんも一緒にいかがですか?」
「いや……別に、あいつらと花見に行くくらい何を着て行っても構わないのだが……」
「そっ、そんな、いつも同じ服なんてだめです。兄さんに似合うものは私がよく知っています。是非お手伝いさせてください……!」
「…………」
なぜだか畳みかけるように、二人での外出が決まってしまった。
曰く、隣町に新しい服屋が出来たらしい。いったん帰って、洗い替えの同じ服を着てヒナタを迎えに上がれば、小さく笑われてしまった。
射し込む木漏れ日があたたかい。木陰はまだ冷えるものの、そよ吹く風に麗らかな気配を感じる。隣を歩くヒナタは幾分緊張しているように見えたが、視線を交わせばゆるやかに笑いかけてくれた。
性懲りもなくヒナタを日の当たる方へと誘導してしまうあたり、かつて無条件に守り抜くと誓った想いが、今も自分の中に生きづいていたことを苦笑する。つい先日あんなにも深く傷つけたというのに……。さすがにあれは、いくら何でも酷すぎたと思う。昔からそう、ヒナタのこととなると、自分でも抑制の及ばぬ烈しい感情に飲まれ、瞬時に真っ黒に染まってしまうのだ。因果を紐解けば、あまり認めたくはないのだが、
「あのね兄さん、わ、私、また兄さんが宗家にいて、お父様とも手合わせして、何より私ともお話ししてくれて……とても嬉しいです。今日もこうして、十年ぶりにお出掛けできて、本当に幸せなの。夢を見ているみたい。私、兄さんがそばにいなくて寂しかったのかも」
己の尊厳について無頓着すぎるのか、あれほど蹂躙され尽くした相手に、こんなにも清らかな笑顔を向けられる彼女に、本当はずっと寄り添いたかったのかもしれない。
「ヒナタ様。オレはあなたが望むようなやさしい兄にはなりきれない。あまり気を緩めない方がいいですよ。今のあなたにはコウがいます」
そう、こんな風に、心にもないことを言えば、
「コウはコウで、兄さんは兄さんなの。コウは本当によくしてくれているのだけれど、私はずっと、あなたと一緒にいる未来を夢見ていたから……だから今、恥ずかしいけど、すごくふわふわしています。本当に嬉しいの。よかったらまた仲良くしてくださいね?」
欲してやまない言葉を、ことさら自然に、当然の如く与えてくれる。如何せんそれが本心なのかは分からない。博愛主義者のヒナタのことだから、配慮によって繕ってくれただけなのかもしれない。けれどもその一言だけで、瞬時に心がほころぶのだから、ネジが彼女へと注ぐ名もなき果てのない感情には、どこまでも底がないのだろう。
服屋へはほんの一時間ほどで辿り着いた。初めて訪れた木ノ葉の里の隣町は、小奇麗な商店が整然と立ち並ぶ、のどやかな街だった。もう少し遠くてもよかったのにと、自ずとおかしな方向へと引きずられる思考を、自戒しながらも止められなかった。
道すがら、のべつ幕なしに笑うヒナタに流されて、わずかに頬がゆるむ。自分といることで、この人はどうしてこんなにも嬉しそうにできるのか、心底分からなかった。
ここです、と案内してくれた彼女に続いて店へと入る。町屋造りの小さな商店は、清潔感に溢れたきれいな場所だった。男性用と女性用に二分された売り場に、所狭しと並ぶ洋服の数々を見ていて、ネジはさっそく訳が分からなくなった。が、悩んでいても仕方がない。いちばん最初に目についたものを手に取ると、それを見たヒナタが、何とも言えない顔をした。
「あの……すごく言いにくいのですが、兄さんには似合わない気がします……」
面と向かって似合わないと言われたことにむっとしながら、しかし念のため、鏡の前で確認する。
「…………」
自分でもどうかと思ったのと同時に、ある人物の顔が思い浮かんだ。
「そっ、そういうジャージっぽいのは、ナルト君だから似合うのであって、兄さんはキャラじゃないような気がしますが……」
「…………」
「ごめんなさい」
よほどひどい顔をしていたのか、謝られてしまって我に返った。
「いや、謝らなくていい。オレもそう思います」
心外にも、心のどこかで憧れの感情でも抱いていたのだろうか? 些か気恥ずかしくなった。
中忍選抜試験の本戦にて惨敗を喫してからというもの、ナルトという男には心を引きずられる一方なのだ。口先ばかりの落ちこぼれだと思っていたが、無残に砕かれたこと、虚勢を張っていたネジには大きな薬となった。ずっとヒナタを見ていたから分かるが、彼女がナルトに注ぐ様々な感情、それは決して見かけだけではなく、彼の内面を、奥底までちゃんと見てこそなのだろうと思う。その事実に、なぜだか胸が軋めくのを、長らく見ないふりをしてきた。予選でヒナタと対戦した際、脇目も振らずに彼女を応援していたナルト、それに呼応するように立ち向かってきたヒナタに、言いようのない苛立ちを覚えたのもまた事実だった。
あのとき、ネジがヒナタを打ち負かしたのは、そんな単純な理由ではないのだが……。何度も何度も、しつこいくらい棄権を勧めたのに、それでも諦めないヒナタ。たくさんの仲間に愛されるヒナタを目の当たりにして、恵まれない自分との違いに絶望したのかもしれない。それだけではない。格下だと見下すことによって己を保っていた相手に、苦しんでいるのはお前の方だと、揺るがぬ事実を突きつけられ、図星を指されて悔しかったのかもしれない。
けれども振り返ってみれば、ネジにだって十分すぎるほどのあたたかな居場所があったのに、そこからも目を逸らし続けていた。孤高を気取っていた愚かな自分を、同じ班のリーとテンテンは、心から案じてくれていたのだ。救いようのない馬鹿だったと、改めて己をあざけて笑った。
「あの……ネジ、兄さん? これとかはどうですか?」
幼い頃から聞き慣れたヒナタの声に再び我に返る。
「ああ、ヒナタ様が選んでくださったのですか……?」
「はい……お好きかどうかは、分かりませんが……上品な兄さんには、きっとお似合いになるんじゃないかと思って」
目も合わさずに言って、そっと差し出してきたものは、
「上品? オレがですか? 笑われますよ。ところでそれはどこかで見覚えが……」
「たっ、たぶん気のせいです……! いいから着てみてください」
スタンドカラーのジャケットと、七分丈のパンツという至って正統なものだった。確かにジャージよりこちらの方が幾らかましだと、自分でも思った。特にこだわりはないので、言われたまま、その服を買うことにした。
「ヒナタ様はどうされますか?」
自分ばかりに付き合ってもらっていることが申し訳なくなって、ヒナタの分も促した。でも、
「私は別に、いいんです。えっと……すごく恥ずかしいのですが……兄さんとお出掛けする口実が欲しくて、咄嗟に嘘をついたの……怒らないでくださいね? 仲直りできたことが嬉しくて、二人でゆっくりお話ししたかっただけなんです」
直後、耳を震わせた信じがたい言承けに、頭が真っ白になった。
――いったい、どういうことだ? 少しもオレを責めないどころか、なぜあんなにも好意的に振る舞えるんだ?
我ながらひどく情けないのだが、あれからヒナタの一言が、どうしても頭から離れない。否、それだけではない。あのとき、彼女がこの服を選んだ意図が、どうしても知り得なかった。
「ネジィィィィ! 迎えに来ましたよおおぉぉ!」
「リーうるさい! ご近所迷惑になるわよ!」
快晴、とまではいかないが、穏やかに晴れた初春の朝。天穹にはうっすらと雲がかかり、咲き溢れる桃花色との対比が、特別きれいなまぶしい朝。例によって朗らかな仲間たちが、宣言どおり、自宅まで迎えに来た。事前にお茶を用意しろと言われていたので、これでもかというほどに沸かしてやった。リーあたりが、「これも修行です」などと言ってぜんぶ持とうとするところを想像したら、自ずと顔がほころんだ。そして、案の定、
「生意気言ってたわりに気合いが入っているじゃないですか。ではボクがぜんぶ持ちます。これも修行です。さあ、テンテンのおかずも貸してください」
「ラッキー、ありがとうリー」
「…………」
予想どおりの行動に出たリーに、大きな水筒を渡すと、柄にもなくふわりと笑った。複数の荷物を抱えた彼は、やはり思ったとおり逆立ちをしていた。三人並んで、ガイ先生の待つ公園へと向かう。面倒だと思っていたはずが乗じて楽しんでいる自分に気づき、またしても自嘲の笑みを零した。
春の暖色に綾なす木ノ葉の里は、どこまでも清閑で平穏だった。少し前、ここで命をかけた死闘が繰り広げられたことなど、嘘のようだった。
「おお! お前たち! 待っていたぞ!」
大きく手を振る先生は、いつもの闇ひとつない笑顔で迎えてくれた。
「テンテン、お前のリクエストを存分に叶えてやったからな。ひなあられもひし餅もたくさんあるから、いっぱい食べてしっかり力をつけるんだぞ」
桃花色の木の下で、敷物いっぱいに広がる淡い色彩が、春の訪れに、かすかな希望を添えてくれているような気がした。
思えばこうして仕事以外で四人集うのは、初めてのことだ。皆、思い思いのことを口々に言って、別段会話が成り立たなくても、自然と溶け合うのだから、このチームは存外に息が合うのかもしれない。こんな風に心から笑ったことなど、いったいいつぶりになるのだろう。
テンテンが作ってくれた色彩豊かなおかずに、リーが握ってきた変な形のおにぎりに、時折ひなあられを挟み、珍しくお腹いっぱいになるまで食べる。自分で淹れたお茶はともかく、皆が用意してくれたものはどれも最高に美味しかった。が、なぜだか急に……広い屋敷で独り、無言でとる食事の味気なさを思い出して、途端に心が軋みだす。
ネジの暗い胸中を察してか、ガイ先生が思い切り、肩を叩いて言ってくれた。
「ネジ、お前はまた強くなったな! 先生は鼻が高いぞ! お前ならいくらでも上を目指せる。その調子で頑張るんだぞ!」
まっすぐ肯定されることに未だ慣れないネジは、仏頂面で受け流すほかなかった。
「ぐっ……ガイ先生にそこまで言わしめるネジが羨ましいです! というより、もはや憎たらしい……! ボクだって負けませんからね!」
「ふふ、大丈夫。リーだって、私の自慢の仲間よ。ネジもリーも間違いなく強いんだから。私も頑張らなくちゃ」
「そうだその意気だ。リーもテンテンも、先生の期待の星なんだぞ。その調子で大いに青春してくれよ! 他の班に負けるんじゃないぞ!」
およそ屈託のない笑みをたたえ、自称・ナイスガイなポーズを見せた先生が、さながら太陽のようにも見えた。やはりオレはこの人たちのことが好きかもしれない。と、素直にそう思った。ゆらゆらと時を切るかの如く散り初める花びらは、とこまでも鮮麗で、心が躍った。
束の間の宴に、終わりが近づく――男三人でほとんどを食べ尽くした重箱を、テンテンがきれいに片付けてくれた。
「いっぱい作ったのにぜんぶ無くなったね。嬉しい! リーのおにぎりもネジのお茶も先生のおやつも、ぜんぶ美味しかった……お花もきれいだったし、今日みんなでここに来られてよかったな」
思い返してみれば、仲間想いで底抜けに明るいテンテンにも、幾度となく救われてきた。大人げなく、貞腐れた態度を取っても、彼女はいつもやさしく包み込んでくれる。……端なくも本心からの想いが口を衝いた。
「テンテン、ありがとう」
そう、当たり前の礼節に則っただけ。それなのにテンテンは、一等やわらかに笑ってくれた。
「あら、珍しいじゃない……そういうことちゃんと言えるようになったのね」
ところがその幼い子に語りかけるような物言いに恥を覚えて、すぐさま視線を逸らした。そこへ、すかさずリーの合の手が入る。
「ネジ、ボクのおにぎりへのお礼を忘れていませんか? 頑張って早起きして作ったんですよ! 君に簡単なお茶を譲ってあげたようなものなんですから、感謝してくださいよ」
「……ああ、悪いな。それなりに美味しかったよ」
「それなりにとは何です? あんなにたくさん食べておいて……!」
「ははっお前たち仲がいいな。それはすごくいいことだぞ」
「もう、あんたたち相変わらず馬鹿ね」
下らない、とりとめのない会話の中に見える親愛の情に、心がいっぱいになった。
浅春とはいえ日は短い。まだ夕刻ともいえない時間だが、いつの間にかずいぶん陰ってきた。昼時には鮮やかだった春色に霞がかかって、色褪せて見えるせいか、どこか淋しいと感じている自分に、ひどく戸惑った。これまでのネジだったら、煩わしい付き合いから解放されることを、喜んでいただろうに……。
しかして、ひんやりとした空気が沁みてきたところで、上巳の節句の花見はお開きとなった。ご多分に漏れずこれから修行なのだと、勢いよく公園を飛び出したリーとガイ先生を見送って、テンテンを自宅まで送る。暑苦しいあの二人よりも、彼女とは幾らか話しやすいのだ。敢えて口には出さないが、熱血すぎる彼らに対する胸の内は、きっと近しいものがあると思う。
「ねえ、今日ずっと気になってたんだけど……ネジが私服って珍しいわね」
「ああ、これか。オレは別に何でもよかったんだが……ヒナタ様が買うのに付き合ってくれて、選んでくれたからな」
「そう。それで……。よく似合ってるじゃない。あんたが選んだら目も当てられなかったと思うわ。だって、いつもダサ……いや、何でもない。ちゃんとお礼しなきゃだめよ。女の子の節句だし、帰りにお土産でも持って寄ったら? 何か買うなら付き合ってあげるけど」
「いや、それは悪い。あんなにたくさん用意してくれて、テンテンは今日、朝早かったのではないか? 明日から任務続きなのだから、早く帰ってゆっくり休め」
仲間として当然の切り返しをしただけなのに、彼女は果然嬉しそうに笑った。
「うん、ありがとう。それにしてもあんた変わったわね。というより、本来のあんたに戻った感じなのかな? 私たちは今のネジの方が好きよ。ヒナタも喜んでるんじゃないかな。一緒に出掛けるなんて、一時期考えられなかったのに……打ち解けられてよかったね」
「馬鹿言え。オレは今も昔も変わってない」
すべてを見透かされているように思えて、どうにもばつが悪かった。
ヒナタに何か物を贈るなど、考えたこともなかったのだが、言われてみれば、礼を欠いているような気もしてきた。それだと己の意に反する。テンテンを送った帰り道、商店に立ち寄って、品を選ぶことにした。そして、おくりものとは到底いえない簡素な茶色い袋を持って、落ち着かない心緒で宗家へと向かった。ヒナタは今いないかもしれないし、今日渡せなかったら諦めようと、訳の分からない保険をかけて――。
だが、遠くからでも分かってしまう。長らく染み付いたチャクラを探り当てることなど、ネジにとっては造作もないことなのだ。間違えるはずがない。ヒナタは今、宗家にいるようだ。群青に暮れる空の下、しばらく立ち尽くしていたのだが、腹をくくって門を叩いた。
……直後忙しない足音が響いて、猛獣から逃げてきた小動物のようにころころとやって来たヒナタは、相当に驚いた様子だった。
「どっ、どうされたのですか? 兄さんが、連絡もなしにお越しになるなんて、何か困ったことでもあったのですか?」
まるで要領を得ない様子の彼女に苦笑しながらも、意を決して言葉を投げる。
「このあいだのお礼です。買い物に付き合ってもらって……おかげさまで、テンテンに褒められました」
ネジは背中に隠していた紙の包みを、ヒナタに差し出した。中から澄んだ音がして、手から重みが減ったところで、指先が触れてしまわないよう、すぐさま引っ込めた。恐る恐るヒナタを見遣れば、さながら宝石を手にしたかのよう、そのきれいでも何でもない袋を大切に抱えていて、居た堪れなくなった。どうにも調子が狂う。まったく取るに足らないものなのに……。
「そっ、そんな、お礼なんて、気を遣っていただけるほどのことでもないです。でも、嬉しい。開けてもいいですか?」
こんなに喜んでくれるのならば、もっとましなものを用意すればよかったと、悔いたところで後の祭りだった。小さなヒナタの手の中で、再び高い音が響いて――見慣れた造形が顔を出す。
「…………」
一瞬、言葉を失ったかのように見えた彼女は、即座に立て直し、頬を薄桃色に染めて言った。
「新型のクナイ、ですか? ネジ兄さんらしいです。ありがとう……。大切に使いますね。むしろ勿体なくて使えないかもしれません。だから、ここぞというときのお守りにします」
気の利かない計らいを、まっすぐに受け止めてくれるヒナタは、畢竟幼い頃から何も変わらない。変わってしまったのはネジの方で、もう二度と帰らぬやさしい日々を、改めて口惜しく思った。
「ところで、兄さん……」
自己責任とはいえ居心地が悪く、早々に帰ろうと体を翻したものの、玄関先での立ち話はまだ続きそうだった。ネジは観念してヒナタを見据える。すると、彼女はさらに紅く色づき、
「テンテンさん、何と言って褒めてくださったのですか?」
意図の見えない質問をするので、ありのままを答えた。
「よく似合っていて、オレが選ぶよりもずっとセンスがいいって……」
その返答を承けたヒナタは、いっそうふにゃりと微笑んだ。
「よかった……あの、実はね、その上下は、私と形違いのお揃いなんです。私と兄さんはきょうだいみたいに似ているのだけれど、女の子の私より、兄さんの方がずっときれいだから……だから、私なんかより似合うんじゃないかって。それに、お揃いというのも独りよがりに嬉しいんです」
「似てない……全然、似ていない」
どうりで見覚えがあると思った。中忍選抜試験の本戦の際、観覧席にいたヒナタがこれを着ていたのを思い出した。しかし、尚もってヒナタの発想は意味が分からない。もっとも、彼女の服装を逐一記憶しているあたり、己も大概だと思うのだが。
「兄さんの方がずっと品があって……美人なハナビの方が似ているけれど……でも、今も昔も、私はあなたを実の兄のように想っています。だから、仲直りできてすごく嬉しいの。それにね、このあいだ久しぶりに一緒に出掛けたとき、さり気なくあたたかい日なたを歩かせてくれて……今も昔も変わらない。兄さんはやっぱりやさしいなって思ったの」
「やさしくない……全然、やさしくなんかない」
ヒナタが、いったい何を思って隙だらけで接してくるのか、まったくもって理解に苦しんだ。
深い青に包まれた木ノ葉の里は、冬の名残を残す、冷めた風に吹かれている。見送ってくれたヒナタの紺色の髪に、巻き上げられた桃の花びらが、ふわり、雅な彩を添えていた。いずれこの場所が一面の桜色に染まる頃――次は、ヒナタと一緒に、桜の花を見たいと思った。
大きな一歩だ。一度ひび割れた二人の関係に、こんなにも穏やかな未来が待ち受けているとは、思ってもみなかった。素直に「嬉しい」と、そう思えるようになっただけ、ネジも少しは成長したのかもしれない。
とりわけやわらかに笑う彼女に、十年越しに、もう一度心を揺すられてしまった。
*
「えっ? あんた本気でクナイをあげたの? やっぱセンス悪っ! もっとましな選択があったでしょうに」
「いや……好みが分からないから、消え物がいいかと思って」
「消え物ってあんた……それならせめてお菓子とか、考えようがあるじゃない」
「ボクは支持します! 自分がもらって嬉しいものをあげるのが定石ですから」
「……じゃあ違うな。やはり間違えた。でもヒナタ様が喜んでくれたから、それでいい」
――鬱陶しい。いちいち踏み込んできて何になる? 昔のネジなら間違いなくそう思っただろう。ぞんざいな対応を崩さず、拒絶したことだろう。
けれども来る春の始まりに、雪解けの如くほころんだ希望をもって、お節介で騒々しい仲間たちのことも、延々遠ざけ続けてきたヒナタのことも、すんなりと受容できるようになった。かくしてこれまで独りで見てきた白黒の世界が、嘘のように鮮やかに色づいてゆく。
淡い花びらを乗せ、軽やかな風が駆け抜ける。木ノ葉は今日も快晴とはいわずとも、穏やかに晴れていて、遠い空色と咲き誇る桃花色との対比が、ただただきれいで心が洗われた。